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 以前、一度だけディズニーランドに行って、スペース・マウンテンに乗ってきましたが、先ず駐車場の広いことにびっくりさせられました。これでは暗くなってから果たして自分の乗ってきたバスを見つけることができるかどうか不安になるほどでした。園内も広いこと、そして話には聞いていましたが、見事にゴミがひとつも落ちていない。常に何人かのスタッフがゴミを拾い集めているものの、これだけきれいにされていると、ほとんどその必要もないと思えるものでした。
 このディズニーランドが、一人勝ち圧勝していることは周知のことですが、その原因をあるシンクタンクが調べてみることに。何度でも足を運ぶリピーター。何がそうさせるのか。調べていくうちに、こんな話にぶつかったそうです。
 ある日、レストランで老夫婦が「お子さまランチ」を二つオーダーしました。ウェイトレスは少し気になって、チーフに伝えたところ、そのチーフは老夫婦のところへ足をはこんで、「他に何か注文できるようなメニューがなかったのでしたら、申し訳ありません」「お子さまランチでよろしいのでしょうか」と尋ねたところ「実は、孫が一緒に来て、ここのお子さまランチを食べるのだと、それはそれは楽しみにしていたのですが、先日、交通事故でその孫を亡くしてしまいました」「今日は孫と一緒のつもりで、二人でお子さまランチを食べてみようと出掛けてきました。ご心配をおかけして」と答えました。「よく分かりました、ではごゆっくりどうぞ」と言って下がっていきました。 しばらくして「お待たせしました」と三つのお子さまランチが運ばれてきました。老夫婦は「注文は二つですが」と言うと「ひとつは是非お孫さんに、私たちの気持ちです」という答えが返ってきた。
 その一部始終を見ていた他の部署のスタッフが、感動しましたと上司に話をしたところ、それは良い話だと喜んで「感動賞」という賞が、それは当事者は勿論、申告をした人も賞に預かれるという制度になって、生まれることになった。これはディズニーのと言うか、アメリカ人の、人の良いところを探して伸ばしていこうとする気質からくるもので、内部告発を取り上げ、更に告発者を保護しようとする日本人との大きな差ではないか、このあたりにディズニーランドの成功の秘訣があるのではということになったそうです。
 さすがに、シンクタンクで、目のつけどころが違うという感じです。確かに、隣にディズニー・シーを展開するなど、何度足を運んでも飽きさせない企画力も優れているが、結局は人であり、こまかい気配りが出来るかどうかが、一番のポイントということなのでしょうか。
(2004.12.27)
 お陰様でボーナスが出たときだけは、貧困から一時的に開放されますなどというと、尊敬する曾野綾子さんから一喝されそうです。本当の貧困は、今の日本には存在しない。貧困には三つの形があって、少しでも腹を減らさないように、じっとしてうずくまっている。次は仕方なく盗みを働く、その次は積極的に略奪する。その力の強い程、その人は尊重される。世界にはまだまだ、そんな貧しい国がいくつも存在する。これは勿論極端な例ではあるが、私たちの想像の及ばないことは枚挙にいとまがない。と曾野さんは実際に現地へ飛んで、自分の目で見てきているだけに説得力がある。
 こんな例も、アフリカの奥地のある学校を訪ねたとき、あまりにも教室が暗いので、灯りをつけようと申し出たら、それではこのこども達が生きてゆけなくなる。暗闇で目が利くことは多くの危険から身を守るために最低限必要なことだからと言われ納得をした。また、ある学校で給食を、と言っても日本のそれとはかなりの差がある貧しいものだった。何人かの子供はその給食を自分では手をつけないで、外で待っている学校に入れない自分の弟、妹に食べさせていた。学校へ行くことは勉強よりも、この給食で貴重な食事を手に入れることが一番の目的と言う。
 日本では、振り込め詐欺でお年寄りからだまし取った大金で、高校生が一泊4万円のホテルに泊まり、私には想像のつかない6万円のフルコースや、4万円の焼き肉を食べていたと報道された。飽食を通り越して、背筋の寒くなる思いです。ホテルを始め周りの大人達は黙って見過ごしていたのか、なにより家庭はどうなっているのか、1億円を盗んだ高校生も、旅行やブランド品を買ったりして使い切った。そのうちの一人は自分の取り分が少ないことに腹を立てて警察に自首した。幼児の虐待は増え続け、誘拐殺人もあとをたたない。貧しいアフリカと豊かな日本とどちらが幸せなのか比べようもないが、自分の食べ物を幼い自分の兄弟に与えることができる子供と、貧しくもないのに盗み、遊びに使ってしまう子供、その格差は余りにも大きいと言える。しかも、どちらに生まれるかは自分の意志とは全く関係なく努力のしようもないという不合理を、どう受け止めればいいのか。せめて、今、この国に生かされている自分を謙虚に受け止めていくことを自らに課していかなければと考えさせられてしまいます。 
(2004.12.24)
 今年もイルミネーションの輝く季節になりました。横須賀市内では、山科台がすっかり有名になり、見学の車が交通渋滞を引き起こすまでになりました。確かに何軒かは豪華絢爛、飾り付けも電気代も大変だろうと考えると、それでも続けてくれて、私たちの目を楽しませてくれ安らぎを与えてくれる方達に感謝を申し上げずにはいられません。
 中央の大通りの街路樹はかなり前からやられていて、なかなかの風情です。市でも、市役所前の公園でささやかに始めています。しかし、これは街路樹の木そのものには熱を持つのでよくないとされ各地でも問題になったそうです。私も久里浜花の国でやるというので反対したこともあります。そこは化学の進歩で、今は神戸のルミナリエ始め、設備投資に少し費用はかかるが、熱も少なく長持ちする電気代も安いという発光ダイオードなるものを使っているところが多いそうです。市でも早速取り入れています。
 本町山中線でショッパーズへ向かって降りてくると、一瞬、外国にいるような夜景に出逢えるのは、光の影響も少なくないといえます。ここは白色光を使わずに暖色系の光を使っているのだそうです。私は何時も大晦日は神社で年を越すので縁がないのですが、恒例になった「カウントダウン」がここで行われますが、自衛艦と米軍の軍艦もライトアップ、今年はキャンドルも4000と期待できそうです。佐世保ではクレーンのライトアップが行われているそうで、参考になります。
 ライトアップと言えばこの人、ベイブリッジ、明石海峡大橋等を手がけた照明の世界の第一人者、石井幹子さん。かなり前から憧れていましたが、この道を切り開いた慧眼と努力には大いに敬服するところです。女性ながらソフトだけでなくハードもこなす。照明という分野に文字通り光を与えた方です。会派の人が猿島をライトアップしたらと、実現できれば、面白い企画で、これを石井さんが手がけてくれればと夢を見ています。
夜間飛行で空から見る地上の光は、いつも美しいだけでなく、いろいろなことを考えさせてくれます。
(2004.12.17)
 この一本ということになれば、「ジャイアンツ」になります。エドナ・ファーバーさんの原作はジャイアントで、これはエリザベス・テーラーが演じる女性の主人公、レズリーを指しています。共演のジェームス・ディーンでもロック・ハドソンでもありません。緑豊かな東部から広大な西部の牧場へ嫁ぎ、その聡明さを持って、文化の違いを乗り越え、家庭を支えていった一人の女性の見事なまでの生き方を描いた作品です。監督は「シェーン」の名匠ジョージ・スティーブンス、音楽は映画音楽といえばこの人ディミトリー・ティオムキン。
 オードリ・ヘップバーンを世に出した「ローマの休日」。ウィリアム・ワイラー監督がこの役は彼女しかいないと見出した。圧巻は有名な王女の記者会見のラストシーン。表情と視線がすべてを物語っている。オードリー一世一代の名演技で、何度見ても胸がキュンとなる。この映画は観るたびに新たな感覚を呼び起こしてくれる名作の条件を完全に満たしていると言える。
 フランス映画は全くだめで、どうしてもアメリカ映画に、代表するスターとなると西部劇のジョン・ウェインということに。ジョン・フォード監督の「駅馬車」でスターダムに、おなじくジョン・フォード監督の「騎兵隊」も良かった。騎兵隊の制服がよく似合う。ディーン・マーチン、リッキー・ネルソンの歌のスターとの共演「リオ・ブラボー」両作品とも音楽はティオムキン。大作「アラモ」は自分で監督、伝説のデビー・クロケットも演じる。「リバティ・バランスを撃った男」ではジェームス。スチュワートを引き立てる渋いところを、年を経て演じた「勇気ある追跡」は円熟した演技を、遺作となった「ラスト・シューテスト」は往年の名女優ローレン・バコールが共演、癌に冒された初老のガンマンを、このときすでに自分の病状は知っていたといわれ、いかにも西部劇一筋の生涯ににふさわしい最後と。
 西部劇、ジョン・フォードでもう一作、フェンリー・フォンダのワイアット・アープ「荒野の決闘」主題歌に歌われるクレメンタイン役のキャシー・ダウンズという女優さんの美しかったこと。ケビン・コスナー主演「JFK」監督はオリバー・ストーンは、ケネディ大統領暗殺の謎に迫る見事な構成のノンフィクションと言えそうな、思わず唸らされる映画。観ている映画で名画といわれる「ベン・ハー」「アラビアのロレンス」「ドクトル・ジバゴ」その他またの機会に。
(2004.12.04)
 今は、すっかり映画館で映画を観ることもなくなりましたが、私たちの年代は、何といっても映画が
一番の娯楽でした。小学校で映画館へ連れて行ってくれた。記録映画「青い大陸」は地中海からスエズ運河を経て紅海へ、海の魅力は今でも薄れることはない。ディズニーの「海底2万哩」も。
 中学生時代は日活、石原裕次郎、「嵐を呼ぶ男」「錆びたナイフ」「やくざ先生」「鉄火場の風」「あじさいの歌」「紅の翼」「世界を駆ける恋」「憎いあんちくしょう」「黒部の太陽」いつも遠くを見ているような、少し寂しそうな目。そして女優さんでは、結婚後、見事にマスコミをシャットアウトした芦川いずみさんは今でも変わることのない理想の女性。
 高校2年のとき、英語の先生が授業中に、「ウエストサイド・ストーリー」を勧めてくれた。早速友達と東京へ見に行って、なんだミュージカルなのかと、少しがっかりした反動もあって、世界が変わる程の衝撃を受けてしまいました。ミュージカルなど初めての私に、「くたばれヤンキース」も良かったと言う友の一言に、また驚かされた覚えがあります。レコードを買って何度も映画館へ。洋画を観るようになって、ジョン・ウエインの「騎兵隊」、ポール・ニューマンの「ハスラー」そしてヴィヴィアン・リーの「風とともに去りぬ」。
 大学へ、「007・ロシアより愛をこめて」は別の衝撃。見終わって映画館を出るときは、みなジェームス・ボンドに。紺のニット・タイが大流行、ショーン・コネリーは完成された大人の魅力。リヴァイヴァルの「ローマの休日」、「ジャイアンツ」はこれぞ映画。スタンリー・キューブリックの「2001年、宇宙の旅」は難解な映画、後のSF映画スティーブン・スピルバーグ「未知との遭遇」ジョージ・ルーカス「スターウォーズ」に大きな影響を与えたと言われる。がらっと変わって邦画では東映やくざ路線。高倉健、後れ毛がまぶしい藤純子、緋ぼたんお竜。上原美佐の新鮮な美しさ「隠し砦の三悪人」ジュリー・アンドリュースの2作「メリー・ポピンズ」風景の美しさも魅力の「サウンドオブミュージック」。
 社会人、ジーン・ハックマン「フレンチ・コネクション」感動の「エルビスオンステージ」スティーブ・マックゥイーン、フェイ・ダナウェイ「華麗なる賭け」ヘップバーン「いつも二人で」背景の美しい西部劇ジョン・ウェイン「勇気ある追跡」黒澤明、三船敏郎『用心棒」「ラストシーンが見事に残る山田洋次「幸せの黄色いハンカチ」最後に映画館で観たのは周防監督「シャル・ウィー・ダンス」か。
 テレビで観た映画ではケビン・コスナー「フィールドオブドリームス」[アンタッチャブル」「ダンス・ウィズ・ウルブス」ホイットニー・ヒューストンとの「ボディガード」モノクロのグレゴリー・ペック「日曜日には鼠を殺せ」ブルース・ウィルス「ダイ・ハード」1、2作目は何度観ても面白い。アニメの最高峰「となりのトトロ」余り知られていないところで盲目のアル・パチーノがガブリエル・アンウォーとタンゴを踊る「セントオブウーマン」内容が実に洒落ているダスティン・ハフマンの「靴をなくした天使」倉本聡が高倉健のために書いた「冬の華」。( 続 く )
(2004.11.25)
 私の尊敬する作家 曾野 綾子さんは、アラブの世界に関しては、何度も現地に行かれたご自身の体験から、深い理解を持っていると思っています。イラクに関しても、興味深い発言をされています。
 アメリカはイラクを自分たちの理解可能な範囲内にある統一国家だと考え、自分たちの理想をあの土地に住む人々も理想とするだろうと疑わなかった。しかし、イラクには日本のように国と国民全体でおおよその合意ができるような地盤は殆どない。イラクは民主主義とは全く別の価値基準を持つ部族社会で、彼らは同じ部族と同じ宗教以外の人を信用しない。まず自分の部族の利益を求める。「イラク国民の幸福と利益」などという観念は存在しない。
 ブッシュはサダムの圧政からイラク人を解放し、民主主義、男女同権、自由を与えようとした。しかし彼らはそんなものをありがたがらなかった。「一夜の民主主義より、数百年にわたる圧政のほうがましだ」「人間を信頼するのは水をこし器に入れるようなものだ」という格言は単純な信頼は愚かしい行為だと。アメリカがいかに戦力を投入しても、テロは当分絶えない。
 理由は二つ、一つはテロリスト側が慢性的な貧困の中で、世論を失いつつあることを感じていること。自分の存在に付加価値をつけるためにも死を持って相手を抹殺するという宗教的な理由にすがる。もう一つは貧困と荒野の中で、娯楽施設もなく、武器だけを手にした人々に残された唯一の楽しみは活きた標的をうつことに。そしてテロリスト達のゲリラ戦にはルールがない。普通の市民として暮らしている人が同時に破壊的行為に加わる。それを殲滅しようすれば、それは市民を攻撃することになり、ゲリラの居住地を狙えば、民家を破壊することになる。しかも彼らは決して報復を忘れない。
 自衛隊の活動できる「非戦闘地域」に関しても、ゲリラにとっては戦闘地域も非戦闘地域もない。日常的な場所で、非戦闘員を巻き込んで破壊活動を行う。それにもし自衛隊が「非戦闘地域」にしか行かないのなら、自衛隊でなくて、優れた土木技術者が行けばいい。また、どんなに説明しても自衛隊は「イラク国民」のために働いているということにはならない。自衛隊は常に特定の部族の利益に関与しているだけだと彼らは判断するから、その利益に漏れた他部族の恨みを買い続けることになる。「敵を知り己を知れば、百戦あやうからず」で、アラブ社会に通暁してから、ことを決められることを願う」といつもの歯切れのいい発言に拍手を送り、テレビ画面に映し出される市街戦の様相に驚きと困惑を感じています。
(2004.11.19)
 クローズアップ現代で取り上げた難しい問題。車を運転していて、ある時突然、道が分からなくなった。娘さんは年のせいと、その後、今度は金使いがあらくなり、医師に相談したが、何も問題ないとされる。2年後にアルツハイマーと。
 医師の問診に答える本人の受け答えはしっかりしていた。アルツハイマーに冒されていない部分の能力は以外に多い。お金の問題も、お金を隠す、その隠した場所を忘れる、そして隠したことを忘れる。お金を盗まれたと騒ぎ立てることに。専門の藤本医師は「年のせいが、痴呆とは考えない家族も認めたくないことに問題が。一人で悩まずに、できれば複数の医師に問診だけでなく、心理テストやMRIで画像診断を」と。 ケアーに取り組むあるNPOでは、月に一度料理を自分で作ってみる。自分ができないと思っていたことができた。他のこともと意欲が湧いてくる。
 その人らしく最後まで、どう暮らしていくか。十分な判断力が残っているうちに「任意後見制度」を使って、財産の管理や介護方法を契約。後見人を定めておくことも。
 任意後見とは契約は公正証書により、家庭裁判所により後見監督人が選任されて初めて効力が生じると言う制度で、痴呆になった後にどのように生活をしたいか、どのような支援をして欲しいか任意後見人と契約し、その契約内容に従って後見人に支援をしてもらう制度。内容は1.財産の管理方法2.介護の内容、在宅か入所か、3.ガンの告知の要否4.墓地、墓石の指定5.飼い犬の世話、庭木の処分など。
 社会福祉協議会が「あんしんセンター」を開設、契約に基づく高齢者、障害者の財産保全と管理をしているが、能力判定等に問題があるとされ、「成年後見制度」(任意後見の他に、すでに判断能力が不十分な場合の対処)を採用していく方向。そこにも、まだ問題点があり、条例化も必要という意見もあり、研究課題と考えています。
(2004.11.12)
 阪神大震災のときもそうだったのですが、被災状況が詳しく分かってくると、その重大さに改めて気付かされるのでした。未だに余震が続いていて家に戻れない、避難所も充分でなく、車に寝ている人も多く、水も食料もガソリンも全てが足りない。孤立した村から、躰ひとつで歩いて避難してくる人の列、自衛隊のヘリで救出される人、地滑りのすさまじさ、テレビの画面に映し出される惨状は想像を超えるもので、台風22、23号の被害と併せて、自然災害の恐ろしさを、人の力のなんと弱いものかをも知らされる思いです。
 横須賀市の支援活動も上下水道局が、早々に阪神大震災で実証済みの応急給水活動支援に、現地へ向かってくれたことは心強いかぎりです。キャンパス水槽1トン:40基{2トン応急給水車20台分}7トン:10基{応急拠点10カ所配置用}、迅速な行動がとれたことは日頃の努力の積み重ねの結果と、高く評価できるものです。現地に臨まれる職員の方は大変でしょうが、ご自身の健康に留意され成果をあげて、無事に帰られることをお祈りしています。
 もし、関東大震災のような地震が起きたらと考えると、台風22、23号での被害ではとても済みそうに無いことは、市民の皆様もきっと同じ不安を抱えていることと思います。台風で私の所は停電しなかったのですが、一部ではかなりの時間停電があって、何も出来ず寝るしかなかったと聞きました。電気ひとつで、今の生活は大きなダメージを受けますが、大地震となれば、ライフラインが全てストップ。住まいがどこまで持つか、地滑り、液状化、津波、心配の種は尽きません。
 せめて、自分の安全は自分で責任をなどと考えても全く自信がありません。最低限の非常用品は用意してあっても、いざというときに手に出来る保証もありません。防災意識を常に持ち続けることの大切さは理解しても、のど元過ぎればで、なかなか難しい。もう一度そのあたりから、防災の重要性を、この機会に考え直さなくてはと反省をさせられます。同時に、被災者の方に何か出来ることはと考えると、さしあたり出来ることは、こういうときは物資は被災者の方が手にすることはすぐには無理で、まず義援金と。そして10万を超える避難者が雨と寒さにさらされている現実を思い、一日も早い復興を祈ることをと考えるものです。
(2004.10.27)
 東京都現代美術館で「ピカソ展 躰〔からだ〕とエロス」が12月12日まで開催されている。お金を払ってまで、観に行こうと思わない展覧会のひとつで、いつも「ピカソの絵のどこがそんなに良いのか」と考えさせられる。有名な「ゲルニカ」の本物と変わらないといわれる銅板に焼き付けたものを四国の大塚美術館で観たときも残念ながら、感じるものはなかった。
 釜石高校の美術教諭、桜井さんは、「ゲルニカ」を観てやはり「これが絵なのか」と感じてピカソを否定した。だれもが一度は経験するこの感覚。しかし、みなぎるエネルギーにはひかれる。「どうして」気がつくとピカソを学んでいた。3次元の世界を2次元のキャンパスに翻訳する。他の視点からモノを見て総合的に組み立てる。一連の技法は技術があれば到達できる。だが、ピカソが本当に到達したのは「価値のないものに光をあて、生命を吹き込む世界であり、これだけはだれにもまねのできないピカソの才能」なのであった。 ピカソの作品はいずれも「努力に裏打ちされたもの」で、常に自分自身を否定し続け、スタイルを変えていく姿だと学んだ。と投書されていました。やはり分かる人は分かる。これは美術の才能の問題なのです。
 ピカソと並び称される「マチス展」が、ときを同じくして12月12日まで国立西洋美術館で開催されている。日本でこれだけのマチスを観る機会はないと評判も高い。ピカソと比べてマチスはまだ私の様な素人でも、それほどの違和感は感じられない。鮮やかな色づかいで、観るものを暖かい感じで包んでくれる。簡単そうにも思えるなかに、何か奥深いものを感じさせずにはいられない。それは、マチスが絵を一枚描くのにどのような課程でどのような試行錯誤を重ねているかなのだそうです。
 しかし私には、モネやルノワールのように、普通に観て安らぎを感じさせてくれる絵のほうが有り難い。ピカソ、マチスを観て、ひらめきを感じることのできる人がうらやましい気持ちもありますが、どうも抽象絵にはなじめない。恐らくそれは、自分で絵を描くことが中学校以来なかったことが最大の原因なのではとして、決して嫌いではない、ただ面倒なだけで描くことのなかった絵にも少しは挑戦してみようかと思わせる2大巨匠の名前でした。
(2004.10.22)
 今年は余りプロ野球を見なかったが、このパリーグのプレーオフは面白かった。特に第2ステージ最終戦は、まれに見る好ゲームだった。先発はダイエーが初戦の勝投手、新垣と西武は第2戦の勝投手松坂の両エースで、松坂は4回に城島に一発をあびるが、6回を1失点で抑える。一方、新垣も5回まで0を並べる。西武は4回、5回と好返球で本塁生還を阻止、これは大きかった。6回、新垣が乱れて3点を失う。代打の石井義は2度好球を打ちそこなったかにみえたが、見事に2点タイムリー。野田も必死の犠牲フライ。しかし、さすがにエースで7,8,9回は立ち直ってピシャリと抑えた。
 こうなるとリズムはダイエーに、8回、井口のホームランで1点差に。西武は8回裏から、押さえのエース豊田を送るが、9回土壇場で同点に追いつかれる。なおも2アウト2,3塁一打サヨナラの場面
バッターは三冠王の松中。伊東監督は「豊田が打たれたらしょうがない。腹をくくった」豊田は渾身のフォークで松中を2ゴロにうちとり絶対絶命のピンチを切り抜けた。
 ピンチを乗り越えるとチャンスが西武に。変わった直後の守備で好返球を見せた小関が幸運な2塁打。1死1,3塁でから代打、犬伏が決勝の犠飛。代走の高波の足は速かった。この回からダイエーのマウンドには、押さえのエース、三瀬。33才の西武豊田でさえ、押さえることの難しかった優勝のかかったイニング。エース新垣に全てを託したのなら、驚異的な体力を持つといわれる新垣の続投なのでは。今シーズン成績は良くても、28才、新人の三瀬には荷が重い。一方、1点リードの西武の締めくくりは豊田の続投ではなく,第1戦で先発、負投手になった石井貴。汚名返上と、鬼のような形相で最後を締めくくった。
 昨年日本一のダイエーは、日本シリーズで活躍したお馴染みの選手に対して、西武は松井稼が抜け、名前と実績が分かるのは、伊東監督、オリンピックで活躍の和田、怪力のカブレラ、エースの松坂大輔、投手コーチの荒木大輔ぐらいで、世代交代期、捕手の野田は正捕手ではなく、代打で出てきた石井義も、犬伏も、他に誰かいないのかと思ったし、代走の高波に至っては、この大事な場面に経験のない選手で大丈夫かと首をかしげたが、期待に応える活躍を見せた。第1ステージでの日ハムとの激戦を勝ち抜いた自信と、捕手出身の守りを重視し、細かい気配りの出来る伊東監督の采配のもと、総力を挙げて戦った西武。井口、松中、城島、さすがに強いと唸らせたダイエー。野球の素晴らしさを証明してくれた両チームの選手に心からの拍手を送ります。
(2004.10.15)
 10月1日、イチローが、1920年にジョージ・シスラー選手が作ったシーズン最多安打257安打に並び、一気に記録を更新した。最終的には262本まで伸ばし、3年ぶり2度目の首位打者に輝いた。実に84年ぶりの快挙のプレッシャーを、「ワクワクする。勝負の世界にいる醍醐味」と。
 1973年生まれ、愛工大名電高からドラフト4位でオリックス入団。甲子園のエースは打者に転向、7年連続の首位打者を獲得、大リーグ、シアトル・マリナーズに。2001年、首位打者、盗塁王、MVPに輝いてデビューを飾る。守備範囲の広さ、肩の強さも超一流。「天才」と称される。
 しかし、彼を知る人は「才能だけではない、ものすごく努力する男」「努力は人前ではできない、それが彼の美学だ。」と口をそろえる。勉強も、中学の最後の成績は数学と音楽を除いてオール5、東大も夢ではない」といわれ、高校は特待生。「夜もどんなに遅く帰宅しても、365日トレーニングを欠かさない。ふつうの精神力では、まねはできない」。 阪神大震災の被災者に、「人は必ず障害に出会う。そこで頑張れる人間になりたい。前向きな姿勢で夢を持って歩きたい」と元気づけた。イチローの美学の一端がここにもかいま見える。
 名門ヤンキースの4番を打つ松井の活躍も、胸を躍らせてくれる。大魔神、佐々木も頑張った。しかし、何といっても、大リーグへの道をつけたのはドジャースの野茂英雄であることは論を待たない。言葉も通じない全く未知の世界へ単身乗り込んでいって、日本の野球が大リーグにも通じることを証明した先駆者、野茂の存在も大きいと言える。
(2004.10.8)
 9月20日、昨年11月にイラクで殺害された 奥 克彦大使の追悼試合が行われた。早大ラグビー部OBであり、相手のオックスフォード大学へ留学時にラグビー部でも活躍、両校のジャージーを着た奥 大使。試合後にはその遺影と共に両チーム肩を抱き合って、記念撮影に臨んだ。当日は「奥、井上イラクこども基金」の募金活動も行われた。
 今でこそサッカーに押され気味のラグビーですが、暮れの明ー早戦の切符を手に入れるのが大変な全盛期、スタンドには、早稲田の応援にあの吉永小百合様のお姿も。数々の名勝負があり、多くのスタープレイヤーも生まれた。私が始めて国立競技場に足を運んだのは、学生代表、明治ー社会人代表、三菱自工京都の日本選手権でした。プレー経験のある先輩に連れられて、解説付きです。日本一に輝いた明治はその後、何度も、決勝に臨むものの社会人に敗れている。圧倒的に社会人が強い。このときの明治には、天才、松尾雄治の存在が大きかった。
 松尾は卒業後、新日鐵釜石に。どうしても手に届かなかった日本一を釜石にもたらした。次の年は、松尾が腰痛でダウン、スポーツキャスターとしても活躍する上田のトヨタに敗れ松尾が復帰して7連覇を成し遂げる。それほど松尾の存在は大きいものがあった。と言っても、相手をなぎ倒す体ではなく、足もずば抜けて速いわけでもない。松尾自身のトライも少ない。ゲームメイキングに優れた才能を持っていた。冷静な判断力のもと、強力フォワードを十分に活かし、その結果が、一年先輩の森を中心とするバックスの力も活かすことに。現役を引退後、不祥事で協会から離れるが、恩師北島監督は明治のOBにかわりはないと暖かく迎え入れていた。  
 2011年のワールドカップの開催地に日本が名乗りをあげた。5カ国対抗のイングランド、アイルランド、スコットランド、ウェールズ、フランス。ニュージーランドのオールブラックス、オーストラリアのワラビーズ、南ア共和国、トンガ、西サモアと言った強豪の迫力のあるプレーが見られることに。テレビで見た赤い悪魔のウェールズはもの凄かった。オールブラックスには100点以上の大差をつけられた。少しは格差も縮まっていると思うものの、日本はまだまだ及ばない。しかし、これを機に、松尾、平尾と言ったスターが生まれることも期待をしたい。
(2004.10.1)
 NHKスペシャル「老化に挑む」第1回は「あなたの脳はよみがえる」。BDNFという脳内物質が運動をすることによって増加し脳を活性化する。一旦衰えても快復する脳。遅すぎるということはない。楽しんで継続する運動を、そして常に前向きに挑戦し続けることを。
 第2回は「あなたの寿命はもっと延びる」。100才の現役スキーヤー三浦さんは「探求一筋」、102才の日舞の師範板橋さんは「一生修行」と語る。共通していることは、足腰がしっかりしていること、自立した生活をしていること。肉体年齢は20〜30年若い。
 老化を引き起こす「活性酸素」。ジョギングをしても多量の「活性酸素」が発生する。この「活性酸素」を除去する「抗酸化物質」をつくり出すのは運動を継続すること。いつ始めても効果はある。回転が止まるとコマは倒れることと同じ。
 ご存知、聖路加 日野原先生92才、65才で老人などとはとんでもないと。元気の秘訣はカロリー制限。ローカロリーは長寿の条件、但し専門家の指導のもとで。カロリー摂取をひかえることも「活性酸素」の発生を抑えることに。
 人生を楽しんで生きる。老いたら新しいことに挑戦を。
(2004.09.21)
 初めて聞く言葉で、メダリストを集めて特別に大会をなどと勝手に想像してしまいそうですが、来年二月、冬季大会が長野で開かれる「知的障害者のオリンピック」なのでした。
 知的発達障害のある人たちに、日常的なトレーニングとその成果の発表の場である競技会の機
会を提供し、社会参加を応援する国際的なスポーツ組織が、スペシャルオリンピックスです。現在、160の国と地域、100万人の障害者、75万人のボランティアが活動。1991年、熊本の10歳の女の子がアメリカで行われた夏期大会で、銀メダルに輝き、翌年日本にも組織ができた。理事長の細川元首相夫人 細川 佳代子氏の言葉。この機会に、日本中のたくさんの人たちに知っていただきたい。S0は社会的な意味のある深い哲学のある活動で、健常者の意識の革命運動だと思っています。私たちが普段認識をしている社会は、健常者がつくった健常者のための社会です。この社会では障害者は弱者とされ、支援を受けることが当たり前で、関心をもつこともあまりありません。その意識を変え、本当の理解者が増えれば、「知的障害」という言葉はなくなる私たちがつくった物差しで価値基準をきめて障害者にしてしまっている。 
 この物差しを取り除き、例えば「思いやり」「優しさ」という物差しで、誰が障害者か考えてみると、恐らく私たちが障害者です。彼らは心が純粋です。邪心がありません。人を傷つけたり悲しませたりしない人たちです。私たちは計算、打算だらけで、私利私欲の世界で競争し合っています。日本の社会がおかしくなったのは、競争社会の中で私たちが心を失ってしまったからです。障害者は「かわいそうな人」ではありません。共に生きるとはどういうことか、支え合うことが、どれだけ大切か学ぶ上で、欠かせない人たちです。」
 固定観念を持つ前の子供が知的障害者と触れあう機会は大切です。教室で一緒に学ぶとハンデが出てくるというなら、スポーツはいい手段です。触れあう中で子供達は敏感に学びます。大会開催中は、競技に参加しない世界の障害者が交流する機会として、「グローバル・ユース・サミット」という催しも予定されています。各国の学齢期の障害者と障害のない人が、3人ひと組でチームをつくり、競技の取材と新聞の作成を行う。日本の小、中学生、高校生が各国のチームと討論を行う「グローバル・ユース・フォーラム」も予定されています。
 この機会に、意識改革を、知的障害者と触れあうことを目指していきたいものです。  
(2004.09.08)
 平成10年から行われている100億を超す国の直轄事業、馬堀海岸高潮対策事業も、整備地域の一部を試験開放できるところまで進みました。既に冠水の心配はなくなったことは、2度に渡り被害を被られた方にとっては、ひと安心と言えるところです。
 浸水面積70ヘクタールの地域を写真で見ると、この部分は、以前は水のきれいな遠浅の海水浴場だった所で、埋め立て以前の北風、大潮の台風のときは砂浜が見えなくなるところまで海が押し寄せた部分で、浸水するのも当然と言える自然の脅威を感じさせられるものです。
 埋め立て前の馬堀の海には、楽しい思い出がたくさん残されています。子供の頃は、夏になると近所の友達と、往復切符とにぎりめしを持って、電車の窓から見える海に心を躍らせて、扉が開くのももどかしく、駆け足で海岸へ駆け下りて、一日中海にひたっていました。水のきれいな日には水中メガネもなしで遠くまで見通しがきき、コチは竹でいくらでも突くことができました。
 馬堀中学は海水浴場が通学路。体育の授業で一度海に入ったクラスがあったのですが、泳ぎは達者な生徒がほとんどで、収集がつかず一度で中止にされてしまった。野球部は泳いではいけないと言われると余計に泳ぎたくなるもので、練習が終わり先生が帰るのを見届けて、ひと泳ぎ。夕方の海は水も柔らかく格別な味わいがありました。合宿の夜に先輩に連れられて入った夜の海は、体を動かす度に夜光虫が光を放ち、幻想の世界でした。冬の晴れた日には、校舎の窓から、青い海と白い砂浜の上に霊峰冨士が松の木越しに見えて、見事な風景画を見るようでした。
 この素晴らしい環境の海を、何時、埋め立てたのか市史を見ると、昭和40年1965年に埋め立てを開始と有り、その前に長野市長3選とありました。20歳を迎える年、まだ市政に全く関心もなく少し救われる思いと、残念な思いと複雑なものがあります。残された伊勢町、走水、観音崎の海を守っていかなければと、改めて思いを強くするとともに、叶うことなら、私の骨は馬堀の海に撒いてもらおうと「我は海の子」を確認するものです。
(2004.9.3)
 連日の寝不足の原因の、四年に一度のオリンピックですが、私たちの年代は何といっても昭和39年の東京オリンピック。新幹線、首都高、高層ホテル、国立競技場、体育館、東京が一度に近代都市に生まれ変わってしまった。そして、あの感動の選手入場、アベベ、チャフラフスカ、東洋の魔女をはじめとする日本のメダリストたち。世界を身近に感じることができ、平和の有り難さを部分的に感じることができたのかなと思います。
 アテネの開会式、なんと知らない国の多いこと。一度じっくり世界地図を見なければと思いながら見入っていました。メダルラッシュの陰に、期待されながらメダルに手が届かなかった多くの選手。あれだけ強い選手でも負けるのかと言わせた柔道の井上康生選手。オリンピックで勝つことの難しさは、実力だけでなく、魔物が住むと言われる。これまで何人の選手がこの魔物に敗れてきたことか。野球の野村監督の言葉「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」は実に味わい深い。
 タイムアップ寸前の3ポイントシュートが入っていれば、地元ギリシャに大逆転の女子バスケットボール。テレビで観ているかぎり、真っ赤なアメリカのオフサイドの女子サッカー、なでしこジャパン。
100分の4秒差でメダルに手が届かなかった水泳の田中雅美。始めに強豪と当たらなかったのなら・・組み合わせを恨みたくなる女子バレー。チームをここまで引っ張ったキャプテン吉原知子34歳。北海道、妹背牛商業卒業後、日立に入社、バルセロナ五輪に出場。その後契約問題で大林素子と共に日立を離れ、イタリアのプロリーグへ。帰国してダイエーからアトランタ五輪出場。しかしダイエーバレー部も休部。東洋紡へ29歳、シドニー五輪は「若手で」という方針で、声がかからなかった。その東洋紡も休部、パイオニアへ。「もう全日本とは関係ない」と思っていたところ、柳本監督から「主将を引き受けて欲しい」と電話が入った。固辞したが、翌日、主将として発表された。33歳での全日本復帰。チームは12人中10人が五輪初出場、高校生もいる。「率先して練習し、得点する姿を見せること」を自分に課した。劣勢に追い込まれても、必死に食い下がる姿勢をみせ続けた。
 プレッシャーに打ち勝ち、見事に金メダルに輝いた「田村で金、谷でも金」の谷亮子。過酷な条件にもうち勝った女子マラソンの野口みずきの笑顔も素晴らしいが、吉原主将の戦いを終えた爽やかな姿に、金メダルの上のメダルを贈りたい。
(2004.8.27)
 優勝候補の一角、神奈川代表の横浜高校もベスト8で姿を消すことになりました。明日からプロで通用しそうな完成品の涌井投手を見ていると、本人の素質は勿論のことですが、指導者に恵まれたことも感じるところです。
 今でこそ名門の横浜高校ですが、昭和38年、渡辺監督の一年後輩が甲子園初出場。そのメンバーと練習試合をして完敗した経験も、少し価値があるのではと、自慢をしたくもなります。渡辺監督を鍛えた笹田鬼監督、とにかく怖かった。甲子園でも鉄拳をふるい話題になったが、試合相手の私たちまでゲンコがとんできそうな気迫の方でした。その教え子は、今、高校野球を代表する名監督。愛甲、鈴木尚典、松坂大輔を育てている。
 中京対浦和の文字取り息詰まる熱戦、8回裏2対2の同点ワンアウト1,3塁、敬遠で満塁策をとった。注文通り3塁ゴロ。3塁手は迷うことなくセカンドへ送球、5−4−3のダブルプレーでピンチを切り抜けた。押出しや、暴投を考えるとなかなか満塁にはしたくない。ダブルプレー崩れを考えれば、2塁でなくホームへ投げたくなる。守りの絶対の信頼が積極的な攻撃になっていた。9回表、守る浦和はワンアウト3塁で、二人を歩かせ満塁に。結果は走者一掃のダメージを受けることに。打線を信じて、一点覚悟して勝負すれば、打つ方にもプレッシャーがかかったのではと考えるのは、岡目八目、当事者でないから言える。
 同じダブルプレー狙いの満塁策だったが、天と地の差が出たのは、積極的な守りという強い意志と、選手への絶対の信頼ではなかったかと考えると、甲子園での監督の役割はかなり大きなものと思われる。だからこそ、一度はやってみたいものの、常に上位にランクされる人気も、よく解るというものです。
 甲子園、晴れの舞台で試合ができる選手は勿論のこと、ベンチで采配をふるう監督の姿に、叶わぬ夢と自分をなぞらせながら、今年の夏も終わろうとしています。
(2004.8.20)
 今年も八月六日に、朝起き会〔実践倫理宏正会〕を通じて、広島へ折り鶴を送ることができました。
「クローズアップ現代」で、大江健三郎氏が、取り上げていましたが、昨年の八月一日、原爆の子の像にささげられていた十四万を超える折り鶴が燃やされてしまいました。
 二歳で被爆し、十年後に原爆症を発したサダコという少女が、鶴を千羽折れば病気が治るといわれ、鶴を折ることに回復の望みを託したが、かなわなかった。その願いにつないで、全国から、また世界の国々から折り鶴が送られていた。ひとりの学生が、それを焼いてしまった。
 大江氏は、死んだ少女を思いながら指先に注意をこめて紙を折るときに、注意をこらしている自分が、祈りという方向へ集中するのを感じた。できあがった紙の鶴は、死んだ少女につながる祈りのモデルであり、別の言葉でいえば想像力を働かせることである。ただ苦しむのみで、回復することのなかった少女の、恐ろしい痛みについても想像力はとどいていたはずです。他人の痛みを、自分のこととして、感じることの出来るのはただ想像力によってのみ可能なことなのです。と語っていました。
 折り鶴を焼いたのは、関西学院大学の学生。本人もこれほどの反響の大きさに驚き、充分反省しているとのことでした。そして大学では、原爆についての特別の講座を持ったところ、予想以上に多くの学生が参加して、当日の式典にも、何人かの学生が参加をしていた。焼いた行為は最悪だったが、結果として私を含めてきっと多くの人が、改めて折り鶴の由来を知り、祈ることの大切さまで教えられたのではと救われる思いです。来年は六十年を迎える広島、長崎の被爆体験を語り継いでゆかなければならない責任を新たにしてくれた「折り鶴」でした。
(2004.8.13)
〜〜 「プラハの春」 チェコ・スロバキア 〜〜
 私たちが地理で習ったのはチェコスロバキア。1993年に今のチエコとスロバキアに分離。チェコの首都、プラハを訪ねてきました。「プラハの春」というと、ロマンチックな感じがしてしまう。
 現実は、第二次世界大戦後、ソ連の影響下で社会主義の道を歩んだが、1968年にドブチェク政権が民主化を推進。国民の幅広い支持を受けたのが「プラハの春」と呼ばれた政治運動。しかしソ連を中心としたワルシャワ条約機構軍に蹂躙され失敗、一人の学生の抗議の焼身自殺は全世界に衝撃を与えた。その後、1989年の「ビロード革命」と呼ばれる無血革命まで待たなければならなかったという極めて政治的な言葉なのでした。
 11世紀以降、発展したプラハの街は「百塔の都」と呼ばれる美しい塔を持つ建物が多く、1992年に世界文化遺産登録の中世の街並みが残る美しい街で、中央にはモルダウ川が流れている。音楽では「わが祖国」のスメタナ、「新世界」のドボルジャーク、作家ではカフカが有名。ボヘミアングラスのボヘミア地方の中心地でもある。
 第一次世界大戦以後、一緒に連邦共和国をつくり、1993年に「静かな離婚」をし、独立したスロバキアの首都は、ブラチスラバで、ウィーンに近く、ハンガリーの首都ブダペストにも近い。1541年にハンガリーの首都ブダがトルコに占領され、1784年まではハンガリーの首都でもあった。地続きの国境をもつ故の事情で、四方を海に囲まれた日本には考えられない。そのブラチスラバの市街地にも足を伸ばすことが出来た。
〜〜 ウィーン 音楽の都 〜〜
ヨーロッパのほぼ中央にあたるオーストリアの首都。ウィーン・フィル、ウィーン少年合唱団、ワルツ王ヨハン・シュトラウス、シュウベルト、モーツワルトと数え切れない音楽家を生んだ。600年以上に及ぶ栄華を誇ったハプスブルゲ家、そしてヒトラーの母国でもある。
 前のウィーンの市長さんが、大の「寅さん」ファンだったそうで、たっての要望に応えて、寅さんが一度だけ海外ウィーンへ、マドンナ竹下景子さんが寅さんにウィーンにいるからと言うと、寅さんは、「ゆふいん」湯布院と聞き間違えてという設定だったそうです。山田洋二監督のユーモアが感じられます。

  「会議は踊る」ハプスブルグ家はナポレオンに敗北、そのナポレオンも1813年に敗北、欧州再編をめぐり、ウィーンで国際会議が開かれたが、連日連夜の饗宴で会議は進まず。東西冷戦時代はスパイが暗躍の最前線、映画「第三の男」。
女帝マリア・テレジア、マリー・アントワネット、エリザベート、チョコレートのザッハー、楽譜レコードの専門店ドブリンガー、スワロフスキーのクリスタル、「サウンドオブミュージック」のザルツブルグ。とても1日半では足りない魅惑の都市でした。

〜〜 ブダペスト 絶世の美女エリザベート 〜〜
 東京オリンピックのサッカー金メダルはハンガリーだそうで、その首都は、街の中央をドナウ川が流れるブダペスト。第二次大戦ではドイツと共に戦い敗戦。シベリア抑留は三十万人を超えた過去を持つ。人の名前のブダ、ペチカの意味のペスト、二つの地区に分かれている。アールバード橋、マルギット橋、くさり橋、エリザベート橋、自由橋、ベトーフィ橋といった美しい多くの橋がドナウ川にかかる。
1867年、エリザベートはドナウ川を船で下り、初めてブダペストを訪れ、すっかりお気に入りの場所となって、ウィーンの宮殿よりブダペストに滞在することの方が多くなった。ウエストは50センチ、豊かな髪を持った絶世の美女伝説。 1896年の万国博、当時の建物が多く残っている。一方、第二次大戦で英国軍の戦闘機から発射された弾痕が建物の壁面に残る。

 火山どころか山もないのに、温泉が出る。日本のそれとは大分様子の違う温泉に入れたことは、貴重な体験でした。 
 各都市とも、市街地を離れると、見渡す限りの草原、地続きのため、バスで国境を越えることも初めてのこと。
しかし、そのためにチェコ、ハンガリーの両国は、市街地のメイン通りを、ソ連の戦車に蹂躙されることにもなった。また、共通して素晴らしかったのは、歴史の重みもあるが、街角に、共同住宅のそれぞれの窓辺に飾られた、色とりどりの花。自分だけの楽しみだけでなく、通り過ぎる私たちまで心和ませてくれる。歴史の違い、宗教心の違い、個性の確立の違い、とても及ばない。旧い建物も、建物だけでなく全ての物を大切にする。身近に触れる一つ一つのこと全てから、新しい発見を、学びを得ることの出来た、費用は格安の旅でした。
(2004.8.6)
 十七日間の長い選挙戦も、結果は民主党の大躍進に終わりましたが、横須賀では、さすがに総理のお膝元だけあって自民の圧勝でした。
 しかし、選挙区は自民、比例は民主という人も多かったようで、これも市民のバランス感覚のなせる技と言われると、何となく分かるような気もします。それがもっとも顕著に現れているのが、共産党の大幅減という結果なのでしょう。
 選挙は生き物、全く予想が外れます。逆風もあれば、順風も、風の動きは読めるものではありません。六年前の大逆風三年前の小泉人気。今回はその小泉人気に少し陰りが見えるのは否めませんでした。それはまた逆に、人気だけではない正しく評価をしている人も多いことの証明にもなるのでしょうか。
 話題を呼んだ 鈴木宗男、辻本清美、青島幸男といった候補者が、かなりの得票をしながら、当選には至らなかったことも、絶妙のバランス感覚といえるもので、こういう結果は誰にも予想が付かない。見えざる手によって動かされているとしか言いようがありません。中田横浜市長の「天が与えた絶妙な数字」というコメントが、本当にその通りと言えるものです。
 「二大政党へ」という意見も多かったようですが、小選挙区制が導入された次点では、私も二大政党で政権交代可能にということに賛成をしていましたが、何回かの選挙を経てみると、今の、日本にはこの制度は無理なのではと疑問も感じています。これだけ価値観の多様な現代に、二つの意見に収斂することは、どこかに無理があり、むしろ様々な選択枝が与えてられていることこそ、自然なのではと。
 市民の皆様の、絶妙なバランス感覚に、改めて敬意を表し、選挙に係わる一人として、謙虚にならなければと反省をさせられた今回の結果でした。  
(2004.7.15)
 創立五十周年を迎えた自衛隊。海上自衛隊は後援会組織がないため、そういう形の協力はできませんが、現総監 斉藤海将は高校の二期後輩にあたり、なんとなく親近感があります。教育隊の入隊式と終業式は議会と重ならない限り、優先して出席をさせていただいています。ファンファーレで敬礼。儀仗隊による総監の閲兵に始まり、「帽振れ」で見送る式典は、心に残るものです。
 陸上自衛隊は高校にあたる少年工科学校、駐屯部隊の第一教育団、それぞれの後援会に入らせていただいています。昨年、歴代一と評判の高い 武田 正徳 校長より感謝状をいただけたことは、身に余る光栄と誇りとするところです。少工校は、高い倍率の難関を突破された、心身共に健全な生徒さんが日夜、希望に燃えて頑張っていることは、頼もしいかぎりです。今年の卒業式を取材したテレビ朝日の記者も感激して涙に声も詰まっていたそうです。
 同じ武山の地に、航空自衛隊第一高射郡第二高射隊が最新鋭のペトリオツトを装備していますが、こちらの後援会にもまた、久里浜の陸上自衛隊通信学校の協力会にも参加させていただいています。
 私たちがこうして側面から応援できることは限られていますが、少しでも力になれればという思いから、自衛隊父兄会、OBの方の組織、隊友会、防衛を支える会にも協力をさせていただいています。日頃より私たちの安全を守り、国の防衛を担う自衛隊の皆様に、心からの感謝を捧げるものです。
(2004.7.8)
 久しぶりに、選挙はつきものの、ビラ配りをしました。3年前は、新内閣誕生直後でブームのときだったので、ビラの写真をちらっと見せるだけで、取りに来てくれた。このときが異常なことは承知をしているものの、今回は大分様変わりで、なかなか手に取ってくれない。始めから顔を背けてこちらを見ないようにする人、差し出すビラを払いのける人、わざわざコースを変えて後ろを通り抜ける人、なかなか手に取ってもらえない。そのときどきの世相を反映しているのでしょうか。にっこり笑って受け取ってくれる人には、心の中で手を合わせたくなるほど有り難くなります。
 この後することになる「明るい社会づくり運動」では、ビラの他にティシュ、バンドエイド、子供向けの風船まであるとかなりの確率で受け取ってくれるのは、比較してはいけないと思いながらも、この違いは大きいもので、政治不信を肌で感じることができます。
 しかし、得るものもあります。自分が受け取る側になったときは、ピンクちらしでも絶対に拒否しない。にっこり微笑んで「ご苦労様」と声をかけることが出来るようになる。ばい菌でも見るような視線で見られると、なるほど自分の存在が、相手にとって、もの凄く不快な存在になることもあるのだからと、少しでも謙虚にもなれるというもので、こういうことも必要なのだと納得をします。
 心の底から「お願いします」と頭を下げることができるようになれば、どんな人でも快く受け入れてくれる。ビラ配りも、そこまでいかなければ本物ではないのかなと考えさせられます。本物への道は厳しいものでした。
(2004.7.2)
 客室はまずまずきれいと言えるが、料金から考えてもホテルのようにと期待すると、まだまだそのレベルに達していない。ロッカーの中にハンガーがひとつしかなかったり、細かい心遣いがほしい。
 デッキには何も施設がなく、風が強くて、とても景色など楽しんでいられない。ここはプールとまでは言わないもののひと工夫で、もう少し何とかなりそうな気がするのですが・・。 1万5千トンの船だけに、貨物中心は仕方ないとしても、少しは客船に乗る楽しみも考えていかないと、先行きが心配になります。
 スタッフの方達のご苦労が無駄にならないように、これからの動向に注目していきたいものです。
(2004.6.25)
 片道だけですが、大分市、大在港からフェリーに乗って21時間の船旅をしてきました。
 夜9時半近く久里浜からの「しゃとるおおいた」が接岸、積み卸し作業を見学の後に乗船。大分市の公共埠頭のため、待合室は離れていて、車で船内へ案内され、乗船する。東京湾フェリーの待合室から直接のイメージがあるので、なんとなく不安な感じがする。
 平日のため、乗客も車も少ない。大分市内から車で30分は、ややマイナスか。観光の目玉、湯布院へは高速で30分は、まずまず。車でない一般の乗客に対するサービス体制がまだまだ不十分、これは乗船後のことにも言える。
 零時少し前に出港。時間からして入浴後すぐに就寝、揺れは全く感じられないが、エンジン音はやや気になる。日の出は雲があって水平線から上がるところは見ることが出来なかったが、これは日没と共に、かなり期待できる。 
 8時の朝食後、ここからが大変。サンルームにマッセージ機と、ゲ―ムコーナーにスロットマシンがあるほか、何も娯楽施設がなく、デッキは風も強く、身の置き所がない。テレビも衛星が2つしか入らない。優雅な船旅をと考えていたら、今のところは、トラック輸送主体で、まだ観光客のおもてなしには手が回らないということらしい。
(2004.6.18)
 国会で大揺れに揺れた年金問題。調査の結果、と言うけれど、私の場合は改めて調べる間でもなく、昭和43年に駿河銀行で厚生年金に加入44年10月退社で資格を喪失。その年の暮れの総選挙を目指して、選挙運動に。そのときは、健康保険も年金も全く頭になく、それで通る時代でした。小泉現内閣総理大臣も初戦を飾れず次点落選。少しばかり格好良く言わせてもらえば、47年初当選を果たし、順調に小泉丸が出航したのを見届けて秘書を辞し、49年に東京湾倉庫(現相模運輸倉庫)に入社するまでの4年5ヶ月は無保険,無年金状態でした。
 その間、一度だけ危機に陥ったことが。スキーで右手首の神経を切断指が3本全く動かない感覚もなくなり、手術をしないと治らない。保険はない。幸い民間療法で事なきを得たことがあった。年金はともかく保険の必要は感じてはいたものの、先立つものがなく、払うに払えない状態で、他の何人かの仲間も同様でした。
 次は相模を希望退職でやめて、富国運輸へ入るまでの1年間、雇用保険にお世話になったとき。そして県議秘書の5年間と、私の年金履歴はずたずたの状態で、お恥ずかしいかぎりです。こういう私にとっては今期、3期でやっと資格がもらえる議員年金だけがたよりで、ありがたく思っています。払わなかったのではなく、払えなかったと言っても、国民としての義務を果たさなかったことは事実で、足りないでしょうが、その分を今の職務に全力を尽くすしかないという思いです。
(2004.5.29)
 5/22は朝から、いろいろな会合が重なりテレビを観る暇がなく、車の移動中にラジオで、途切れ途切れにニュースを聞いていました。ピョンヤン到着、出迎えが次官とは失礼な・・先行きが少し心配。五人の子供達をつれて帰ると聞いて、ひとまず良かったと安心する。
 次に、十人の行方不明者のうち二人の生存が確認。一人は絶対に横田めぐみさんだろうと、ご両親の喜ぶ姿を想像する。後に誤報と訂正が入る。次は、ジェンキンスさんへの総理自らの説得も功を奏さず、曽我ひとみさんの家族は帰国せず。頭をかしげる。
 六時から、文化会館で竹中金融財政担当大臣の講演、冒頭に「今日は記念すべき日になりました。」と切り出し、大きな拍手が起きる。前日、総理から「横須賀へ行ってくれるんだって?!よろしく頼みます。」と言われたと講演にも力が入る。
 帰ってテレビを観ると、どうも様子が違う。家族会は猛反発。一年七ヶ月ぶりに子供達と再会できた地村さん、蓮池さんの表情も曽我さんのことを慮って曇っている。十一時過ぎに行われた総理への家族会への説明に対しても、直接厳しい質問が返ってくる。「考えていた最悪の結果」「何故、午後も会談を続行しなかったのか」「信じていたのに、裏切られた」・・・「ご批判は甘んじて受ける」総理の表情も暗い。
 冷静に考えてみると、確かに家族会の方たちの言い分も良く理解できる。ジェンキンスさんの問題は何の対策もなく、直接お話しても結果は見えていたのに。八人が全員帰国でなければ、成果は半減、向こうの作戦ではと言う人も。行方不明の方たちの問題も、明らかな疑問点に関する質問の答えはなく、白紙に戻して再調査では納得できない。この一年七ヶ月の間に、何の進展もなかったことに。
 せっかくの総理の訪朝も、五人の子供達を連れ帰った事実も、帰国できた二家族の喜びも打ち消されてしまいそうな状況。総理のスタッフの読みの悪さ、外務省の相変わらずの外交下手、原因はいろいろ言われています。確かに、年金問題の目先をかかえ、参院選に向けての人気取りのパフォーマンスと言われると、そんな思いが少しでもあったのではと思わせてしまうところにも、この問題の難しさがあると思わざるを得ません。横田めぐみさんの母、咲枝さんから託されたブルーリボンをはずせる日が一日も早く来ることを心から祈るものです。
(2004.5.23)
 多くの人が、国語辞典でお世話になった金田一 春彦先生が亡くなられた。朝日新聞の「天声人語」で取り上げていましたが、米寿を迎えられたときに「春風秋雨」と書かれた。「人生は春の花が咲く頃に、風が吹いて散ってしまったり、秋の紅葉の頃に雨が降って散ってしまったりと、ままにならないという意味だ」 そして、今は残り少ない時間の中で春の風も秋の雨も楽しみたいと記されたそうです。
 人間の使う言葉も変化する。今の若い人の言葉使いはなっていないと、怒ることなく、長い目で見守っていただきたい。これもまた、先生らしい暖かい言葉だと感銘を受ける。自らの死亡記事に「春彦は生前、なくし者が多い人でした」と書いた。大切な資料がないと大騒ぎし、書き上げた原稿を捜した。捜し物をするために生まれてきた。
 何かというと、積み上げた書類の山をひっくり返している私は先生に近いのではと、自惚れたくもなります。議会の控え室の私の机の上は、常にきちんと整理されていて、一枚の書類も残っていない。どうしたら,いつもそんなにきれいにしていられるのかと、よく聞かれます。答えは全く簡単で、全て持ち帰っているからで、その代わり、事務所は、だんだん書類と本とがらくたで、身動きがとれなくなってきているだけのことでした。これからも、ずっと捜し続けることでしょう。
(2004.5.21)
 何年か前までは、「趣味がダンス」などと言うと白い目で見られたものですが、先日TVでも再放送された、監督:周防正行、主演:役所広司、草刈民代の「Shall we ダンス?」の爆発的ヒットによって、一気に日の目を見ることになりました。
 所謂、社交ダンスのことですが、正式にはボールルームダンスだそうで、イギリスが発祥の地で、今も世界チャンピオンの座を譲ることはありません。’テンダンス’・・十の種目があり、男(リーダー)は燕尾服、女性(パートナー)はドレスで 優雅に踊る「スタンダード」は、ワルツ、タンゴ、スローフォックストロット、クィックステップ、ヴィエナワルツ(ウィンナーワルツ)の五種目。男女ともかなりきわどい服装で踊る恋の踊り「ラテン」は、ルンバ、チャチャ、サンバ、ジャイブ、パソドブレの五種目から構成されています。
 テレビでお馴染みの「ウリナリダンス」は、今では、かなり高いレベルです。ウッチャン(内村)のラテンのリズム感、ナンチャン(南原)のスタンダードのテクニックは、見事なものです。テレビの画面に出てこない陰の努力は、相当なものと敬意を表するところです。総合福祉会館や行政センター等でのサークル活動も盛んですが、皆様かなりのレベルの方が多く、「えっ、この方が?!」と驚かされることもしばしばで、楽しい発見をさせられます。
 そして、もっと驚いたことは、視覚障害者の方たちが、やはりサークルを持っていて、私も少しは足に覚えのあるところで、お手伝いできればと参加させていただいたのですが、手を取らないと動けない人がダンスを踊ると、全く普通に、しかも上手に踊られるのには、よくここまで練習されたものだと、また福井記念病院の先生が、この方も弱視とお見受けしますが、ダンスの先生で文字通り実際に足を取って教えていられる姿は頭の下がる思いです。
 四年前、車椅子社交ダンスの講習を受けて、インストラクターの資格を取って、何回かボランティア活動もさせていただきましたが、自己満足の部分は大きいものの、果たして相手の方はどう感じているのか自身が持てずに中断しています。それでも、一度は、擁護学校で今までに受けたことのない感激をいただいたことがあります。力を入れると壊れてしまいそうな車椅子に乗った小さな女の子に恐る恐る声をかけると、付き添いの父兄の方が、踊ってもらいなさい と送り出してくれました。冷や汗をかきながら必死の思いで、踊り終わった女の子を送り届けたものの、表情からは感想はどうだったのか分からずに引き返そうとすると小さな声で「ありがとう」と言われたときは、飛び上がりそうな思いになりました。こういう素晴らしい体験は、他の方にもというのが中断のひとつの言い訳でもあります。
 ダンスにも是非あたたかいご理解を・・・・・。
(2004.5.14)
 サッカーは、かなり激しいスポーツで格闘技でもある。ワールドカップでは日本勢の活躍にすっかり興奮して、以来テレビ観戦ですが、すっかりファンになってしまいました。
 さて、24日の女子サッカー対北朝鮮戦は、その後に放映される23歳以下の日本代表の試合がお目当てで、横須賀市出身の選手もいるということ以外は、あまり期待もしないで観たのでしたが、全く予想に反して、もの凄く面白かった。90分間、全く目の離せない試合でした。
 過去7連敗、実力は相手が勝っているものの、全員が本当に一生懸命で、その必死さが観ていて十分に伝わってくる。完全にやられたという場面も、神憑りとしか言いようのない程、相手のボウルは日本のゴールを割ることができない。完全に勝利の女神を味方につけた日本は3対0で、見事にオリンピックの切符を手に入れたのでした。
 サポーター同士の衝突を避けるために設けられた空席の緩衝地帯以外を埋め尽くした国立競技場へ足を運ばれた多くの人たちは、既に、この女子サーカーの魅力を知っていたのかと解説がよく聞き取れないほどの熱狂も納得できるというものです。
 ひとつひとつのプレーを決して手を抜かない。ひとりひとりが自分の役割をきちんとこなす。基本と言えば、それまでですが、それがまた、なかなか出来ないもので、スポーツだけでなく全てのことに通じるものと、その後の、お目当ての試合にもう一つ物足りなさを感じながら、この試合を中継したテレビ朝日の慧眼にも敬意を表したくなりました。
(2004.4.25)
 リメイクなので、始めはどうかなと思っていましたが、最近では一番面白い、と言うより素晴らしい作品に仕上がったと最大の賛辞を送りたい。
 原作は山崎豊子氏、銀行合併を扱かった「華麗なる一族」、東京裁判を通訳する数奇な運命を担った日系二世の「二つの祖国」、ロッキード事件で話題になった「不毛地帯」、中国残留孤児の「大地の子」、日航機事故の「沈まぬ太陽」と、社会性の強い話題作を持ち前の調査力で鋭く切り込んでいく多くの作品は、現代を代表する作家の一人として、確固たる地位を不動のものとしている。この「白い巨塔」も当時、医学界の裏幕を暴いて、大きな反響を呼んだ話題作で、少し遅れて読んだ私も、ずっと医者に対して不信感を持ってしまうかのような強烈な印象をもちました。
 そして、田宮次郎の代表作となったテレビの存在があまりにも大きくて、他の俳優ではとても演じきれないと思っていたのが、今回の唐沢寿明は前田利家で、一回りも二回りも成長して、自分なりの財前五郎を作り出したといえる。原作にない部分も多く、今の時代に合わせた所の良さは、脚本が優れていたといえる。井上 由美子さんというまだ若い方なのに、話題の映画「赤い月」もこの人の脚本と聞くと納得すると同時に、嫉妬さえ感じさせられるその才能に、賛辞を送らずにはいられない。
 井上さんへのインタビュー記事には、どちらに似ているかとの質問に「財前さんかな」「財前さんは悪いこともするが、理想もある。私も夢を持っていたいけれど、きれい事だけでは生きていけないと、どこかで思っている。一筋縄ではいかないところが似ていますね」「若者は職がなく、年輩者は仕事をやめさせられる状況がある。働くことは、日本人にとって切実な問題になっている。その中で、いい人として生きるのか、周りを蹴落としてでも生きるのか。迷っている人たちになにか伝わるものがあるかなと思った」小さい頃心臓が弱く、十歳で手術をするまでは走ることも出来なかった。入院先の病院で、同じ部屋の子供が次々と亡くなるのを目の当たりした。「生きるというのは、当たり前のようで奇跡的なことだ」と語っている。
 「二十一世紀の白い巨塔」が、新しい感覚の脚本家を得て、誕生しました。
(2004.4.23)
 事件が報道されたときに、まず感じたことは こんなことも起こるのかと言う驚きでした。自衛隊が撤退しなければ、三人の人質は炎になると、こんなことが現実になって、その場面がテレビ画面に映し出されたりしたら、日本国内は大混乱に陥ることになるのではと心配になりました。
 幸いにして、24時間以内に釈放と、胸をなでおろしたものの、あのイスラムが、私たち日本人の様に時間の管理が正確とはとても考えられないと思っていたら、案の上なかなか事態は進展をみせない。テレビでは、解放の約束の時間まで、あと何時間などとコメントしているが、そんな感覚は向こうには、全くないのでは。インシャ、アラー、すべてはアラーの神の思し召しというのが、イスラムの考え方で、飛行機は時間に正確に飛ぶなどという考えはなく、飛べばそれでよい、目的地へ行くことができればそれでよいではないか、と言うのだそうです。
 よく言われることで、握手をしたら、自分の指が五本揃っているか確かめろ、そういう全く考えの違う、したたかな人たちを相手にするということは、なかなかこちらの思い通りにはことは運ばないのだろうと、交渉に当たる人たちのご苦労は大変なものと思われます。
 それにしても、こんなことを言うのは酷なことは充分承知承知の上で、一言いわせていただければ、家族の方たちの態度には首を傾げたくなる思いもあります。渡航禁止の勧告を無視して出かけていって、これだけ多くの人に迷惑をかけ、税金を使い、国の方向さえ変えかねない事態を引き起こしていることに、一言のお詫びもなく、ただ助けてください、情報をと言われても、情報は全て明らかに出来るものではなく、そのあたりの理解をと言うのは、確かに心情を考えれば無理からぬものと。それでも、何かが欠けていると思わざるを得ないものが残ります。
 公私の問題、これはまた、別の機会にと思いますが、いろいろと考えさせられることの多い問題です。
(2004.4.14)
 平成14年度に全国の学校内で起きた犯罪は、4万件を超え、過去最高を記録した。改めて学校の危機管理の重要性がクローズアップされている。
 市も教職員が安全を最優先していくという認識を持ち、また、不審者対応のノウハウを学ぶため、警察の協力を得て、防犯講習会を開催、講義だけでなく実技も学んでいる。同時に、「不審者侵入時の教職員の対応及び子供の安全管理と非難について」の避難訓練も実施するなど、当面の対策には取り組んでいるが、今後の方向としては、どう地域の協力を取り付けていくかだと考える。
 お隣の横浜市では、全小中学校に防犯カメラを設置すると同時に、学校周辺に住む住民らを各校長と警察署長がモニターに委嘱、日常的に通学路などを見回り、不審者が校内に侵入した場合など学校や警察に通報する仕組みを作り、地域と学校との新たな連携を目指し試みをはじめている。
 「神奈川の教育を推進する県民会議」からは、自衛隊を退職された方を中心に「スクールポリス」(仮称)という制度が提案され、自衛隊とのかかわりの深い本市ならではの提案と評価は高いものの,予算面での折り合いが,早急には難しく、今後の検討課題となりそうです。当面は、地区社協、地区ボランティアセンター、に協力を依頼して、校内をパトロールしていただくことをモデルケースとして考えているようですが、「開かれた学校づくり」が、こんなことで逆行することのないように、知恵を絞っていかなければと痛感させられます。
(2004.4.1)
 昨年の暮れは、以前にも増して、いただいたカレンダーの数が少なかった。企業も経費節約が徹底してそれだけ大変なのだろうと思います。
 私がいただいたカレンダーは、あるボランティアの達人の方の所へ集められ、児童擁護施設や老人ホームへ届けられ活かされることになります。ある大手企業に勤める方が、事情を理解してくれて、少しまとまった数を確保してくれることが感謝です。
 以前は、旧いカレンダーもいただいて、裏面を子供たちの落書き用にしていたのですが、今、一枚一枚切る時間がなくて、この作業は中止しています。何とか再開したいと考えています。
 この達人の方の所へは、カレンダー以外にも、タオル、石鹸、使用済み切手、等いろいろな物が集められ、それぞれ必要とされる所へ分配されています。「役に立たないものはないから、何でも持ってきて」と言われる。専門は美容師さんで、休みの日には施設へ、整髪のボランティアに、市の登録活動に、近くの児童養護施設へと全く休みなくそれも、喜んで活動している。頭の下がる思いです。
 こういう方ですから、施設へ行くと各部屋にカレンダーがないことに気がついて、集めに声をかけてくれる。それまで眠っていたものが、本当に活かさせる。「ものを大切に」頭では分かっていても、いざ実行に移せない。そこにひとつの「知恵」が入る。知恵を働かせることが、この方のように出来るようになりたいと思う。それには、普段から心がけていなければと反省させられます。小さなことも決しておろそかにしない。目の前のことに全力を尽くすことができるようにならなければ。少しでも、この方に近づけるように。
(2004.1.19)
 東山魁夷展が横浜美術館で一月五日から二月二十四日まで開かれます。一部三十点は前、後期入れ替えとなると、二度足を運ばなければと思っています。
 三十年も前のことですが、渋谷の東急百貨店で、たまたま時間つぶしに入ったのが東山魁夷展で、当時は比較的ゆっくり観る事ができたことを覚えています。
 東山さんの名前も、作品の何点かも、印刷の状態ではよく見ていたのですが、実物の素晴らしさに圧倒され、以後、東山さんの展覧会、大きいところでは日本橋高島屋の唐招提寺障壁画展、竹橋の国立近代美術館での展覧会ですが、何時間も並んで待たされて、人の流れに押し流されても見続けてきました。
 「残照」「道」といった初期の作品から、ヨーロッパの風景、白い馬のいる風景、皇居新宮殿の「朝空けの潮」、鑑真和上に捧げる唐招提寺障壁画と素晴らしい作品を多く残されたその業績は、日本画を代表する画家として、後世に残るものです。
 長野、善光寺の隣に「東山魁夷館」が、何年か前に作られて、観光コースになっています。美術館としては小規模ながら、落ち着いた雰囲気の中、ゆっくりと東山作品を鑑賞できる贅沢な美術館です。
 せめて、横須賀市も東山作品を何点か所蔵していればと思うのは、ないものねだりというものでしょう。しかし、自分の拙い経験からですが、時間をかけ、お金を使って、実際に足を運んで、本物に触れる機会を持つというのは、考えている以上に得るものが大きいと思えるのです。
 その機会の場を用意することは、採算を考えると、なかなか民間では難しいことで、公の努めとして、次の世代に残していかなければならないのではと思うのです。横須賀にも、是非、美術館を。
 展示できる作品も、専門家の評価の高い浅井閑右衛門氏、郷愁を感じさせてくれる「週刊新潮」の文字のない谷内六郎さんの絵、貴重な「匠文庫」、横須賀出身の島田章三氏、当初の構想でもある「特色のある美術館」が、「函館未来大学」で才能を十分に発揮された山本理顕氏の設計のもと、完成されることを楽しみにしています。
(2004.1.12)