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| 高校野球90回の記念大会は大坂桐蔭の優勝で幕を閉じた。慶応、横浜と神奈川県勢が準決勝に駒を進め、神奈川のレベルの高さを示してくれました。個人的に注目の常葉菊川の伊藤選手は、2番打者で甲子園に帰ってきたが、本塁打1本で、やや伸び悩みか、それでも将来に期待はしている。閉会式の高野連会長の講評を楽しみにしているのですが、今年は首をかしげる個所もあった。これまでは、特に印象に残った試合として何試合か両方の学校名を挙げて、その健闘をたたえていたのが、今年は3つの学校名を挙げただけだった。確かにその学校は素晴らしいものがあったのは勿論ですが、それは、相手があってこそのもので、強い弱いではなく、素晴らしい相手があってこそなのに、勝者だけを誉めるのは、いかがなものか、相手を思う心を大切にすることこそが、教育の一環たる所以なのではと思わざるをえないものです。 もう一点は、今回も相変わらず「見逃しの三振」が多かった。「見逃しの三振」からは何も生まれないという言葉でした。そんなに決めつけないで下さい。自信を持ってボールと判断した場合もあれば、配球を読んで、読みがはずれた場合もあります。ボール球を振って三振するのはどうなのですか、読みが外れて手がでなかったのは。いろいろなケースがあるし、百歩譲っても、失敗からは多くのものを学ぶことができるのに。敢えてそこまで言わなくても、もっと大きな目で暖かく見守って欲しいと思うのですが。野村さんは、配球を読まないで、きた球を打って3割を打てるのは、長嶋さんだけと、読みが外れたら「ごめんなさい」で仕方がないと考える野球をご自身の経験から語っていられます。 講評外で、もうひとつ。あの頑固一徹な佐伯前会長ならば、今回は野球部員の起こした不祥事を、野球以外の出来事として出場させることは決してなかった。厳しすぎるとの批判もあったが、譲ることなく信念を貫いた。それはきっと、これからの人生で、それ位の理不尽なことは、いくらでも身にふりかかってくる。そんなことで、へこたれてはいけないというメッセージだったのではと、今になって考えさせられる思いです。 融通のきかないことの方が、物分りがよいことより、大切なのではと迷ってしまいます。 |
| (2008.8.20) |
| 週刊朝日「語り継ぐべき63回目の夏」は人工の太陽「ピカドン」をわずか4日の間に広島と長崎で見た92歳の男性、山口さんの体験。長崎で生まれ、旧制中学を卒業後、三菱重工長崎造船所へ入社。1945年5月から広島へ単身赴任、8月7日には長崎へ帰ることが決まっていた。長崎には妻と生後まだ半年の長男を残していた。その長崎へ帰る前日の8月6日、空に並ぶ、ふたつの太陽という不幸な奇跡を見た。B29のエンジン音、そう思った瞬間、地上に白い光が満ちて中空に炸裂し膨張する大火球。目をきつく閉じても見えるくらいの白色に近いマグネシウムの色をした大爆発でした。 命は助かったものの、身体の左半身は焼け爛れ顔から首にかけてとろけてしまうような、ひどい火傷。必死の思いで寮に帰った。寮監のおばさんが「生きとったね」と抱きついて涙を流してくれた。傷ついた体を休める時間もなく、長崎へ行く避難列車へ。街じゅう死体の山、川は死んだ人間がどんどん流れてくる、人間の筏のようだった。一昼夜を走り8月8日の昼過ぎに長崎駅へ着く。翌9日、気丈にも造船所へ出勤した山口さんに、上司は広島の様子を尋ねた。そのときバーンときた。事務所の外に閃光が見えた。地を轟かす音が腹に響いて、とっさに潜り込んだ机ががたがたと鳴って、竜巻の塊のような、ものすごい爆風が。自分の体はマグロの赤身のような体液がにじんでいた。 「ただ私は不思議に助かっていますから、奇跡に近いんですね。長崎と広島は300キロ離れています。それを3日かけてピカドンが追いかけてきたんですね」05年息子さんを癌で亡くす。「息子の死は被爆の影響しか考えられなかった。私の現実は原爆から離れられない。ならば2回も被爆して、それでもなお生きているこの私には、まだやるべきことがあるのでは」と1年後の06年8月、山口さんはニューヨークの国連本部に立ち、平和を訴えた。原爆の影響で左耳は聴力を失い、胆のうは全摘していた。63年前の夏を思い、その偶然と呼ぶには、あまりに酷な体験を訥々と話す。 これまで、いろいろな被爆体験を見聞きしてきたが、63年もたってなお、このような奇跡に改めて出会うところに、世界でも例のない、ふたつの原爆被害の奥の深さを知らされることに、複雑な思いです。まだまだ私たちの平和への努力が足りないということを実感する今年の暑い夏です。 |
| (2008.8.7) |
| 梅雨が空け一気に暑くなった先週、香川県善通寺市へ行ってきましたと言うと「やっと心を入れ替えて、お遍路さんですか、結構なことで」と。確かに善通寺は空海、弘法大師の生誕の地で、「南無大師遍照金剛」と唱えて金剛杖に頼り、お大師さまと同行二人の遍路旅となる。その「同行二人」を今の若いものは「どうこうふたり」と読むと、ある有名な方が嘆いていられましたが、恥ずかしながら私もそのくちで「どうぎょうににん」は知らなければ読めない。それ位の知識を持たないことが問題ということで、反省しきりです。 しかし、私たちの目的は滞納対策で全国でも数少ない成功例として注目を集め、他自治体からの視察が相次いでいる善通寺市の滞納債権回収の専門チームにありました。なかなかお見事といえる成功例にめぐり合うこともないので、あまり大きな期待はしていなかったのですが、目からうろこの凄いものでした。 債権管理局を設立。その組織の特徴は、民間の債権回収経験者を採用して市債権の徴収困難案件を法的手続きを以って回収、着実に実績を上げているところです。幅広い法律知識と金融知識、一過性でない継続的な納付管理、戸別訪問は不公平として強制徴収をと担当課への指導、助言、債権回収能力の強化を行い。その名も「滞納勘定の夜明け」と、こうした徴収体制の見直しによる人員適正配置の実行と、専門官の活用は「経費削減」につながるとしたことです。 滞納者折衝、財産調査、支払い督促、調停、訴訟の法的措置、債務名義の獲得から多重債務者の消費者金融業者に対する過払い金の返還請求権の差し押さえ、生命保険の解約返納金の調査、死亡滞納者の保証人追跡調査、行方不明者の追跡調査と、これはその道のプロでなければできない発想であり、まして実行はと舌を巻く思いです。 横須賀市の滞納金80億を考えれば、ここまで徹底した施策をとれば、かなりの金額が、今の財政の窮状をすくうことになると確信して、これから考えを一新して、この難問にあたらなければと目の覚める思いを味わってきました。 |
| (2008.8.1) |
| 5月の「教育研究所月報」の巻頭は、国際交流から専門の教育研究所長に戻られた阿部優子所長の「飛耳長目(ひじちょうもく)」。吉田松陰が、好んで遣ったと言われることばで、耳を飛ばして聞く、目を長くして見る、「耳をそばだててよく聴き、目を開いてよく見なさい」物事の観察に鋭敏であれという情報収集とその活用の重要性を説いたことばだそうで、松陰は情報を書物からだけでなく、日本全国を旅して歩いたり、当時の多くの識者とかかわったりして情報収集にあたった。ペリー来航時には浦賀にも訪れた記録もある。また、松陰自身、情報を集めて行動することを常とし、塾生には学んだことをどう実行するかが大切であると説いた。・・・中略・・・ 幅広く情報を収集して活用することは、自ら課題を見つけ解決する力と大きく関連します。教員にとっての「飛耳長目」とは、情報を収集し、それを授業に活用し、子どもと共に学んでいくこといえます。この教師の姿勢は、日々の授業力を高めることはもちろん、子どもの学習意欲を高め、自立に必要な力を蓄えていきます。これからの学校教育を切り開いていくことばとして、「飛耳長目」を大切にしたいと思います。 お恥ずかしいことですが、この言葉は始めて聴くものです。 吉田松陰、思想家と同時に教育者としての存在も偉大で、松陰が若くしてこの世を去ることがなかったら、日本は良い方向へ大きく変わっていたのではと言うのは、死んだ子の歳を数えることと分かっていても、あまりにも大きな損失であったことは論を待たない。残された足跡をどう、私たちが受け止め、次の世代に伝えていくことができるか、情報を行動に移さなければ、情報も価値を生まないということなのでしょう。改めて身の引き締まる思いです。 話題の 教員採用試験の不正などということは、以前はそういうこともあったのかもしれませんが、今の私たちには考えられないことと首をかしげます。先進市へ視察に行きますが、ITだけでなく、横須賀市はあらゆる面で進んでいることを確認して帰ってきます。学校教育の将来にも、大きな期待ができることに感謝の思いです。 |
| (2008.7.18) |
| 少年院の院長の講演を聴く機会がありました。今、大人の場合、刑務所は全国8万人で過剰収容で、高齢化も進んでいるが、少年院は12年をピークに減少傾向にある。全国52箇所で、男女分隔、短期で3ヵ月から6ヶ月、長期で2年、目的は国が親の代わりになって健全育成、社会に戻す。事件は男子は窃盗(万引き)が43%、傷害、暴行11%、強盗10%、女子は覚せい剤22%、ぐ犯(罪を犯す恐れがある、生活が乱れる)20%、窃盗16%で、家庭状況は両親が揃っている46%、実母のみ30%、実父のみ11%。非行の原因では、自分自身53%、友達仲間33%。能力は高いが勉強は嫌い。考えが幼稚で精神的にひ弱、自己中心的で、何でもできるという万能感を持ち自分の欲求の充足が大事。改めてこう並べられると、説得力は大きい。 少年院では、一人一人個別計画を策定し、自分を振り返り、人に対する信頼感や暖かい心を回復させる。社会で責任ある役割を果たせるよう甘えを廃する。能力はあるが、人と話せない。認めてもらえない。安住の地を与え、正面から向き合える家庭を。能力を発揮できる場所を確保できるようにしていく。 犯罪白書から少年たちの姿を見ると、資質上の問題は、他人に対する思いやりや人の痛みが分からない。自分の感情をうまくコントロールできない。忍耐、我慢ができない。多少のことは許してもらえると軽く考えている。被害者に対する謝罪の気持ちが薄い。対人関係を円滑に結ぶ技術が身についていない。信頼し会える関係を持てない。将来何をしたらいいか分からない。 親と家庭の問題として、親が引受人になろうとしない。子どもの行動に責任感がない、無関心。子どもの言いなりになっている。子どもの問題を他人の、社会のせいにする。家族との情緒的な交流がない。非行が家族に与えた影響を理解できない。家族から疎外されている、見捨てられている。家族への恨み、反発が強い。 一番の問題は、本人の前に親であり、家庭であると思う。「子どもは親の姿を映す鏡」親が大人が先ず襟をただしていかなければならないのでは。 |
| (2008.7.11) |
| 目つきが良くないし、話し方はネチネチしていて、どうも好きになれないとずっと思ってきたのが石破
茂防衛大臣。前防衛庁長官も歴任。制服の方々に大変でしょうと同情すると、いいえ一番なって欲しい大臣で最高ですと意外な答えが返ってくる。現役の方がまさか大臣を悪く言うわけにはいかないし、防衛オタクが良い材料なのかぐらいにしか考えていなかった。県の防衛議連10周年記念式典で、素晴らしい講演を聴かされ、考えを変えることは勿論、すっかり引きつけられてファンになりそうです。 キム・イルソン主席の80歳の誕生日に、一度見たいと思っていた北朝鮮へ渡った。こんな国が本当にあるのか衝撃を受けた。反日の徹底、個人崇拝の徹底、マインドコントロールといつの日か日本にとって怖い存在になると確信した。韓国の人はキム・イルソンは自分が神でないことを知っているが、キム・ジョンイルは生まれたときから自分は神の子だと思っているから怖いと。国民に情報が入らないようにしている。「自分の背中は他人」と言われる密告国家、自分の背中も信用できない。戦時体制を演出、国民に耐えてくれと訴える国家は異常としか言えない。ご自身は島根出身、日本海側では、海岸で怪しい人を見たら、密入国者と思え。 隣の家に蔵が建つと腹が立つ。東西冷戦時代、同じ力なら戦争は起きない。恐怖の均衡、バランス・オブ・パワー。9・11、以後テロはいつどこで起きるか分からない。抑止力が効かなくなった。貧富の差も広がった。米国でさえ、救急車は先ず「金はあるか」と聞く、なければそのまま引き上げる。 国連が世界政府になれない。かろうじて日米関係は、世界でたったひとつ米国が攻撃力を日本が基地を提供。極東の平和、安全のためにどうしても必要なこと。 「ことに臨んでは、危険を省みず」をモットーに政治家は主権者である国民が選ぶもの、国民に対して責任を負う。昭和32年生まれ、昭和61年に全国最年少で当選、農業が専門と語る。一言一言が力強く、正確な言葉で、かみ締めるように語りかける。なるほど自衛隊の制服の方が全幅の信頼を寄せるわけだと納得させられる。その後の懇親会でも、大変な人気で挨拶する人の列がきれず、それを、にこやかに対応されて非常に好感の持てる姿でした。人は会ってみないと分からない。 |
| (2008.7.4) |
| 世界に誇る日本文学の古典『源氏物語』が、千年という節目を迎える。8月9日のよこすか能でも仕舞「夕顔」と「須磨源氏」能「葵上」(あおいのうえ)が上演される。産経新聞大阪文化部の亀岡典子さんによれば、かつて女性誌のアンケートで源氏に登場するヒロインで、キャリアウーマンに一番人気のあったのが六条の御息所(みやすどころ)だった。彼女は光源氏の年上の恋人。前の東宮のお后で、高い教養と美貌の持ち主。しかし正妻葵上との車争いで辱めを受けたうえ、葵上が源氏の子を懐妊。激しい嫉妬と妄執からついに生霊となって病に臥す葵上にとりつくが、仏の慈悲に心を和らげて去っていく。 源氏物語には、ほかにも知性、やさしさ、美貌を兼ね備えた魅力的な女性がたくさん登場するが、なぜよりによって、恐ろしいい生霊となる六条の御息所に女性たちはシンパシーを感じるのか。プライドの高い女性ほど容易に表に出せない思いが内面に積み重なっていくのであろうか。日本舞踊にも「葵上」がある。井上八千代さんの舞う六条の御息所には、葵上を打ち据えようとする凄みの中にひと筋の悲しみが見える。愛する光源氏の愛が薄れつつある悲しみ、理性ではどうしようもない激しい嫉妬、プライドを傷つけられた苦しみ。千年前の一人の女性の情念が至高の芸術となって昇華され現代によみがえった。 八千代さんの舞を見ていると、六条の御息所の思いがまだそのあたりに渦巻いているように思える。千年前も今も人の心は変わらない。 夢にだに、返らぬものをわが契り、昔語りになりぬれば、 尚も思いは増鏡、その面影も恥ずかしや・・・ もうひとつの楽しみは、毎年「よこすか能」に、ご自身のキルト作品を展示してくださる藤田貴代美さんの作品に合えることです。そして、今年は作品展の年で11月7日からが待ち遠しい思いです。 |
| (2008.6.27) |
| 学生時代にもお茶の水から歩いて5分程なのに、ほとんど用のなかった「秋葉原」が何時の間にか歩行者天国の影響もあって、電気の街から様変わりしていた。その歩行者天国を中止にまで追い込んだ悲惨な事件でした。防ぎようのない突然の出来事に、なんともやりきれない思いです。 事件を伝える新聞の写真に写った、倒れている被害者に人工呼吸をしている一人の女性の姿が輝いていたのが、せめてもの救いです。その場には医師が二人居合わせてくれた。一人は産婦人科の医師で、はたけ違いではと余計な心配をしますが、日本の医師は全てできるそうです。もう一人は救命で専門家でした。人工呼吸用のマスクをというリクエストに、看護師さんが居られて持っていたというのですから、この看護師が写真の方かどうか分かりませんが、すごいものです。 こうして必死に看護にあたってくれる人がいる一方で、取り巻いて見ている人の多いこともお驚きです。しかも、携帯をかざして写真をとっている人の多いこと、それもなんと現場の中継をしていた者がいたそうです。どうして専門家でなくても「なにか手伝えることは」という気になれないのか、行動をとれないのか、自分は被害に遭わなかったからといって傍観者でいることができるのか、何ともやりきれない思いです。 改めて救急救命法の大切さを痛感しました。2時間ほどの講習ですが、周囲の安全を確かめ、気道を確保し、みぞおちのところを両手を組んで体重をかけるように押す、鼻をつまんで口移しに息を吹き込むマウスツウマウスを併用する。一度経験していれば、かなり違うのでは思います。AEDも必要なことも、こちらは使用方法が図解してあるので何とかなりそうだし、とにかく行動を起こすこと。 いざというときに、とっさの行動がとれるかどうかは、日頃の心構えによるのでしょうか。 |
| (2008.6.20) |
| 10日の朝日新聞「窓」で取り上げた「倒木更新」 幸田文の随筆集「木」の冒頭に書かれている。 「北海道の自然林では、えぞ松は倒木のうえに育つ。むろん林の中のえぞまつが年々地上におくりつける種の数は、かず知れぬ沢山なものである。が、北海道の自然はきびしい。発芽はしても育たない。しかし、倒木のうえに着床したものは、しあわせなのだ。生育にらくな条件がかなえられているからだ。次の世代を生かし残すために、親や祖父母の世代が犠牲になる。そうでなくては、自然の猛威の前に、一個の生命など芥子粒に等しい。そうした宿命に負けまいと必死に立ち向かう姿を、作者はえぞ松のありように見たのだろう。無論、人間界も同じであるはずである。しかし、企業や政界、あるいは学界などでは、長老が君臨し、子や孫の世代を長らく引き従えているようなケースも少なくない。本人は、まだまだやりのこしたことがあるから、というのだろうが、そういう組織に限って左前になったり、無理がたたって立ち往生したり、という話もよくある。先人の最大の役目は後継者を残すことである。そのことを忘れて、いつまでも自分が組織に必要だと信じ込んでいるとしたら、すでに毒気に侵されていると思って間違いない。各人が胸に手を当てて判断を」と厳しい指摘をされていました。 「後期高齢者医療制度」いろいろと不都合が出て、論議を呼んでいますが、「姥捨て」も全く悪い習慣ではなく、昔のお年よりの苦渋の決断だったという論がありました。お年寄りが若い人たちを生かすために、自ら考えてそうしてきた。昔の人の偉さに敬意を表するところまで考えなくてはという趣旨でした。そういう尊い犠牲のうえに、今日の私たちがあることにも思いをめぐらし、感謝を忘れない。そういうことが、現代に欠けている。そう考えていくと、この「長寿医療制度」の不備も、あまり騒ぎ立てるほどのことでもないかと落ち着けるというものです。 年寄りが、倒木になり、その上に新しい生命が生まれる。それこそが、自然の姿と改めて気付くことができます。 |
| (2008.6.13) |
| TBS朝ズバをよく見るが、みのもんたさんはパラリンピックを強力に応援している。影響力の大きい人なので関係者にしてみれば、どれほど励みになっているか、頭が下がる思いです。 成田真由美さん(37歳)川崎市出身。アトランタ、シドニー、アテネとパラリンピック3大会に出場し、15個の金メダル(うち13個は世界新記録)銀メダル3個、銅メダル2個と、泳げばメダルの圧倒的強さを誇る。これほど強いと障害の程度が軽いのではなどと、なんとなく思っていたのが全くお恥ずかしい限りでした。 子どものころは、なぜかプールが大嫌いで学校の授業はいつも仮病を使って見学していた。当然「かなづち」で、全く泳げなかったという。下半身が不自由になってからも、車いすバスケ、陸上、チェアスキーに取り組み水泳には縁がなかった。それが23歳のときに、水泳大会のリレーのメンバーが足りないので誘われたのがきっかけだったというから驚きです。 13歳で脊髄炎を発症、車いす生活になった。アトランタを控えた23歳のときに居眠り運転の車に追突され、頚椎を損傷し、左手が不自由になった。シドニーの前には子宮筋腫、アテネの前には心臓病。それでも各大会で金メダルを量産してきた。今回、北京に向けてトレーニングに励んでいた2006年1月、両足が開きにくくなり、主治医から人口の骨を股関節に入れるよう勧められた。放っておけば自力で車いすからベッドに乗り移れなくなると言われた。 「またか」悔しさで涙があふれた。入院生活は長引き、いらだちが募る。3度にわたる手術と1年8か月の入院生活を乗り越えて、退院翌日から練習を再開し、10日後には渡米して国際大会に出場した。北京行きを決める最後のチャンスだったが、派遣標準記録をクリア、ぎりぎりで代表に滑り込んだ。筋力は戻らず、自己ベストにはほど遠い、道のりは険しいが「ベストを尽くすだけ、結果は後からついてくる」と気負いはない。「元気に泳ぐ姿を見せて、主治医や仲間に感謝の気持ちを伝えたい」と語る。 たとえメダルが無くても、成田さんの姿は、一段と光り輝き、多くの人に感動を与えてくれるくものと期待しています。 |
| (2008.6.6) |
| 佼成新聞のコラムから、小さな花屋の入り口に4,5歳の男の子が不安げに店内をうかがっている。緊張しているのか、今にも泣き出しそうな表情だった。心配した女性店員が声をかけた。「誰か探しているの?」男の子が口を開いた。「これでお花買える」握り締めた右手に100円玉がふたつ。店員はあっと思った。前日は「母の日」だった。「お母さんにあげるの?」と聞くと、男の子はコックリうなずいた。1日遅れだが「母の日」用のカーネーションが、まだ店内には残っていた。
店員は事情を店長につたえた。店長は目を潤ませて「100円でいいから、10本ほど束にしてあげなさい」きれいにラッピングされたカーネーションの花束を、男の子は、100円玉1枚と交換に受け取った。小さな声で「ありがとう」と言うと、走って帰っていった。 詳しい事情はわからない。でも男の子は、この日、どうしても母親に花を贈りたかったのだろう。値段も知らずに、ただお小遣いを握りしめ、勇気を出して花屋を訪ねた少年。10本のカーネーションの花束。真心が真心を呼び起こしたすてきな話だ。「母親は、単なる家族の一員ではなくて、まさに一家の太陽である」幼い子どもにとって、母親は全てであるともいわれる。男の子から花束を受け取った母親の嬉しそうな表情が目に浮かぶ。その笑顔を子どもは一生忘れない。 1日前だったら200円では1本のカーネーションも買えなかったのでは、花屋さんも1年で一番忙しい日で、子どもに気が付かなかったのではなどと余計なことは考えずに、素直にこの男の子の気持ちは理解できる。誰もがこどもの頃に、似たような経験を持っているのではと思う。男の子にとって母親の存在は、父親と違って特別なものがあることを差し引いても、この子をこのように育てている母親は素晴らしいといえるし、男の子も、きっと道を間違えるような生き方はしないと希望がもてるというものです。教育の原点は家庭にあり、母親にある。ここが間違っていなければ、今の様々な考えられない事件は起きなかったのではと、余計なことを考えてしまいます。 |
| (2008.5.30) |
| 昨年に続いて二度目となる原子力空母配備に反対する署名が昨年より約一万増えて直接請求の手続きがなされ、市長は意見を添えて議会に付託した。先立って、反対の方たちから意見交換をという呼びかけがあり、直接話のやりとりができるのならと出かけてみました。考えていたより紳士的で、ただ闇雲に反対しているのではないことが分かって良かったと思います。最終の本会議での討論のときは、興奮された方もあって、ルール違反の野次が飛んでいましたが、少なくとも私がお会いした方ではないと確信できるものです。 市長の、国の先見事項で、住民投票には「なじまない」でやり取りがあり、かたや「慣れ親しむ」という意味を持ち出し、なじまないという言葉はなじまないと。市長は「適当である」と言う意味で適当ではないと。立場の違いは言葉の解釈にも現れて、今回も平行線はかわらずなじむことはありませんでした。結果は予想された通りで、新聞各社も前回のような「なぜ聞かぬ市民の声」といった論調はなく、冷静に受け止めてくれたようです。中でも産経は記事に取り上げることもなく、さすがと思わせるものです。 私は、今回も議案送付先の総務常任委員会でした。重箱の隅をつつくようなというお叱りを敢えて覚悟して言えば、前回と違って増えたもう一項目が「安全対策が充分かどうか」ということに賛成か、反対かと理解に苦しむものがありました。こういう問い方はそれこそなじまないのでは、また他の委員から指摘があったように4つの答えがクロスしてしまうので、本当の意思がつかめないことにも。条文の内容にも問題がありました。細かいことを言われますが、「条例案」を審議するのですから、この条例では住民投票はできませんということになります。 会派を代表して青木幹事長が、これまでに無い思い切った見事な反対討論をしてくれました。その中で「サイレント・マジョリティ」という言葉を使ってくれましたが、敢えて大きな声を上げない、静かな大多数の良識を、どう汲み上げるかも大切なことで、それが私たちに課せられた大きな役割と言えると思います。市民の皆様の声をきかないで判断を下しているのではありません。これからも、声にならない多くの声を、いかに聞いていくことができるかに軸足をおいて行こうとするところです。 |
| (2008.5.23) |
| 楽しみにしていたNHK朝ドラ「ちりとてちん」総集編。「ちりとてちん」は上方落語の演題で、知ったかぶりで嫌味な人に、腐った豆腐を「これは長崎名物のちりとてちんだ」と言って食べさせる。味はどうだと聞くと「まるで腐った豆腐のような」というおち。脚本は、朝ドラは見るよりも、書くほうがずっと楽しいことに気がついたという藤本有紀さん、音楽はドラマの中の音楽にも工夫をこらしたという佐橋俊彦さん、そして主役の貫地谷しほりさん、母親役の和久井映見さんと、素晴らしい組み合わせが、笑いながらも涙も出させてくれるこの見事な朝ドラマをつくり上げてくれました。 若狭塗り箸で有名な、福井県小浜。箸の生地は卵のかけらと貝殻と松葉を塗り固める。それを石で丁寧に研いでいくと、きれいな模様になって出てくる。人間も箸と同じで、研いで出てくるのは、塗り重ねたものだけで、一生懸命生きてさえいれば、悩んだことも、落ち込んだこともきれいな模様になって出てくる。「なにがあっても天災、天から降ってきた災い」主人公は不器用で、常に後ろ向きの生き方。 転校してきた小学校、クラスの人気者が同姓同名で、呼び名がA子に対してB子に。いつも主役のA子にライトをあてる存在。人生はこれから、自分を変えようと大阪へ、そこで子どもの頃からずっと聞いていた落語と出あい、兄弟子との恋も実り、女性落語家として活躍することに。 師匠の死、その間際に「消えていく命をいとおしむ気持ちが、自分をいとおしむ気持ちに変わっていく今よりもっと一生懸命生きられる」。師匠の夢だった落語の常打ち小屋を弟子たちで作り上げた、そのお披露目の晴れ舞台にたてず、ライトを当てる役に。人にライトをあてるのも素敵な仕事、ライトをあててもらうだけが人生ではないと気づく。引退を決意、止める母親に、大阪へ出るときに「お母ちゃんのようになりたくない」と言ってしまったことを詫びながら「家族の心配ばかりして、つまらない脇役の人生だと思ってきたが、お母ちゃんは太陽のように周りを照らしてくれる。それが、どんなに素敵なことか、どんなに豊かな生き方なのか分かった。お母ちゃんみたいになりたいんや」 改めて脚本の素晴らしさ、場面場面の音楽の使い方の上手さ、五木ひろしの「ふるさと」誰にも故郷があるを、母親に歌わせる。見事に答えている和久井さんは、これまでのお嫁さん候補から大きく脱皮した。そして、何と言っても、主役の貫地谷しほりさんが素晴らしい存在感で、充分に楽しませてくれました。 |
| (2008.5.9) |
| 夏川りみさんが歌って大ヒットした「涙そうそう」(涙ぼろぼろという意味の沖縄の言葉)は、森山良子さんの作詞。24歳で亡くなったひとつ違いの兄への思いで一気に書き上げたそうです。同じ成城学園で、バスケットの選手だった兄の練習を体育館でよく見ていた。バスケットシューズが体育館の床に奏でるキュッという音を聞くと今でも胸が締め付けられる思いがすると語る。それを知って聞く森山さんの「涙そうそう」は夏川さんとは、またひと味違うものがある。 その森山さんが、同世代の人に聞いてもらいたいと、自身の集大成とも言える新曲が「30年を2時間半で」という半分以上はセリフのながーい歌。30年ぶりに、デパ地下のレジで隣り合わせた思い出の人、髪に白いものが混じるが間違いない。声をかけようか、かけまいか悩んだ末に、籠の中の泥つきごぼうを見えないように下に隠して思い切って声をかけた。相手の籠には、おからのパック「ここのおからは美味しいんだ」「私も大好き」「お茶でも」となって、思いで話に。妻に先立たれ一人身の男性と、訳あって今は一人住まいの私。話が盛り上がって「一杯やろうか」ということに。30年を飛び越して、今の気持ちはハタチ。別れた理由は未だに見つからない。 こういう甘酸っぱい思い出はと考えると、いろいろ浮かんではくる。あの人は今頃どうしているのか、どう変わっているのか。男はあまり変わり映えしない。何十年ぶりの小学校の同窓会でも、せいぜい、こんな先生がいたかと思うと同級生だったり。その点、女性は全く変わるので、どこかで、すれ違っても絶対に分からない。この「おばさん」は本当に同級生。かと思うと、どこのクラブのママが場所を間違えて。名前を聞いても当時の面影と、どうしても結びつかない。別人として改めて登録し直すしかないと、そんな思いも。 あるときの高校の同窓会では、卒業アルバムの写真をスキャナーに取り込んで、名札に着けたことも。これは分かりやすいが、自分の写真はひどいもの。今の自分は棚に上げて、「ときめく」気持ちを失わないことが、若さを保つ秘訣とは、それだけ年をとったという確かな証拠。この人をという人に会えるとしたら、生前葬でもやるしかないか。 |
| (2008.4.25) |
| 氷上のプロポーズとして紹介させていただいた井上玲奈さんをNHKクローズアップ現代で、彼女の癌との闘いを取り上げていました。その場面を見ると、知らなければ、演技が終わっての感激の涙としか見えないだろうというものでした。それほど彼女にとっても突然のことだったのでしょう。一瞬のとまどった表情の後に、暖かい表情に変わり、抱擁のときに見せた涙が、答えだった。 21歳のとき、練習中に咳が止まらなくなり、肺がんを宣告されるが、諦めてはいけないとがんに立ち向かう。2年前に父親を同じ肺がんで亡くしている。父の死から多くのものを学んだ。手術で肺を切ることは競技へ復帰できないので、抗がん剤と放射線治療を選ぶ。副作用は想像以上のものがあったが、乗り越えた。1年後に復帰、ボルドウィンがコンビを組もうと申し込んできた。スポンサーもなく、衣装は全て手作り。練習中に頭から転落、頭骸骨骨折で一時は生命も危ぶまれた。それも乗り越えてたが、恐怖でリンクに立てなくなった。ボルドウィンは辛抱強く陸上で練習を続けてくれ、支えあい絆が結ばれることに。7年目に米代表としてトリノ五輪に出場、史上初のスロートリプルアクセルを決めた。 国を超えて「励まされた」という手紙が寄せられた。歯科技工士の女性は、がんを宣告されて、生きる望みを失っていた。接する歯科の患者の方が今の自分より健康なのか考えると仕事を続ける気力がなくなった。しかし、井上さんのビデオを見て思い直す。今の自分ならば気持ちの深いところから患者をサポートできる。日本の眼科の医師、再発4回。医師は万が一、最悪のことを告知しなければならない。悪い方へ考えがちだが、前向きにとらえていくことが大切。「普通」の日々を過ごすことを大切にする自己決定ができた。 生きるエネルギーのかたまり、誰もがペアを組みたいと思う人、尊敬に値する人とボルドウィンは暖かく語る。アルバイト先で、客から「スケートは続けているの」と聞かれ「おかげさまで、全米では2位に入れて、世界選手権では11位だった」と明るく答える。再発の危険を抱えていても、彼女は、絶対に諦めることはしない。 |
| (2008.4.18) |
| NHK生活ほっとモーニングで紹介された「夜間中学」は、戦争や貧しさなどで義務教育を受けられなかった人々が通う、全国に公立35校、ボランティアが運営する20しかない。札幌の「遠友塾」は70人のボランティアが教材を手作りで、授業はその人に合わせて行われる。生徒は85人、3歳で脳性小児麻痺にかかり、手足が不自由で学校へ行けなかった一人の女性。8年前に区役所から紹介されて学び始める。50歳を過ぎてようやく学ぶ場所に。入学通知が嬉しくて嬉しくて、学校の門をくぐるのが夢だった。片道1時間も、一人で車椅子で通う。 少しずつ字を憶えて、これまで胸の内に秘めていた思いを200字詰め原稿用紙53枚に、全て自分の心の中のものを書いた。5人の子どものうち自分だけ学校へ行けなかった悔しさから始まる。「どうして私だけ学校へ行けないの」母はしばらく黙っていたが「済まない」と小さな声で謝った。それ以上言うことはやめた。母は働きづめの毎日で寝ているところをみたことがなかった。兄の結婚が決まり、婚約者が家に来た。私は、家族に障害者がいるのを見せてはいけないと犬小屋にかくれた。結婚式には私の席はなかった。「なんで私を生んだの。私なんかこの世にいないほうがいい」と母を責めた。何度も死のうと思った。銀行へお金を下ろしに行く。銀行の人に字を書いてもらった。「字が書けない」とは恥ずかしくて言えなかった。「おまえは字が書けなくても読めなくても、目と耳と口があるんだから人に聞きなさい。恥をかくのは、ほんのちょっとの間なんだから」その母も学校へ行っていなかった。 夜間中学へ行ける。自分を変えようと決意した。生きていて良かった。生きることは大変だけど、楽しいことが必ずある。つらいことがあったから、今の自分がある。何度も死のうと思ったが、死ななくてよかった。死ぬのは簡単だが、生きて苦しみを乗り越えれば楽しいことがきっとくると、苦しんでいる人たちに伝えたいと思う。 3年前、母は娘のことを心配しながら亡くなった。いつも私のそばにいてくれるはずだったのに。その母への感謝状を書く。下手でもいいから自分の字で書く。生前、感謝の気持ちを伝えられなかった。「5人の子どもを育ててくれたこと、毎晩寝ないで働いてくれたこと。本当に感謝しています。ありがとう。私の母さんは日本一。大好きだよ」命日にお墓に供えた。 私みたいに学校へ行けなくても勉強したいと思っている人がいることを知って欲しい。支えてくれるボランティアの先生方、仲間の励まし、多くの人が手を差し伸べてくれる、今が生きてきた中で一番幸せだ。 |
| (2008.4.11) |
| 30日横田滋さん、早紀江さん、ご夫妻をお招きして、出版記念を兼ねて講演会が開催されました。牧島功先生が、以前から関わりをもたれ、私も8年前にお会いさせていただき、以来、ブルーリボンを着け続けています。そのご縁で、今回、微力ながら、協力させていただくことができました。 お二人で一時間を越えるお話をうかがい、300人を越す聴衆の皆様も、ずっと涙の連続でした。消息を断たれた1977年11月15日(当時13歳)から今日に至るまでの経過を、直接にお聞きすると、改めて怒りが湧き、同時に何もできない自分に情けない思いになります。滋さんは「関心を持ちつづけて欲しい」早紀江さんは「一刻も早く拉致された人を救い出したい」と。その思いを滋さんは『めぐみ手帳、娘を取りもどすための記録』早紀江さんは『めぐみへ横田早紀江母の言葉』を出版されました。写真展も各地で行われ、多くの人が訪れてくれているそうです。しかし話題を呼んだ映画『めぐみ引き裂かれた家族の30年』は二人のアメリカ人の手で製作され、以前ご紹介した『ソング・フォーめぐみ』もアメリカ人、ポールによるもので、複雑な思いです。 終戦から30年、ルバング島から奇跡の生還をされた小野田寛郎さん夫人の町枝さんと、早紀江さんとの対談で「小野田さんが帰られたとき、涙が出て止まらなかった。こんなに長い間、頑張って下さったと。不思議なことが起きるものだと。だから私は希望をもっているんです」小野田さんの母は「あの子は必ず生きている。あの子はそんな弱い子ではない」と言って30年間毎日陰膳を供え、大阪駅前でビラを配った。「母親の無償の愛は、祈りは天に通じる。目的を持ったら、思い続けて、努力する。そうすれば必ず誰かが助けてくれるから」早紀江さんは「私も絶対に諦めません。生きているということは、全て意味があって、無駄なことは何もない、いろいろなことが起きるけれども、それは何か違った良いものにして下さるためのことと思うようにしているのです」と。 めぐみさんが亡くなっていると宣告されたときも、早紀江さんは「私は、今の通達は全く信じていせん。このまま可愛そうにで終わって欲しくない」と毅然としてマイクを取られた。その姿を見て後に、皇后陛下が「なぜ私たち皆が、自分たち共同社会の出来事として、この人たちの不在をもっと強く意識し続けることが出来なかったのかとの思いを消すことが出来ません。今回帰ることのできなかった人々の家族の気持ちは察するに余りあり、その寂しさを思います」とお言葉を述べられました。 |
| (2008.4.3) |
| 子育て支援の総合窓口、療育相談センター、児童相談所を持つ「はぐくみ館」の開所式が、26日に小泉前総理をお迎えして行われました。地下1階、地上5階、延床面積8,642平方m、壁面に市の木オオシマザクラの花びらをモチーフにした開口もお洒落な素晴らしい建物です。「はぐくみ館」の名付け親は、公募で選ばれた高野さん、子どもの健やかな成長を願い育成する、かばい守るという意味の育む施設とされたそうで、少し発音しにくいのですが、素晴らしいネーミングです。市長は「ここを拠点に市の将来を担う子どもたちが健やかに育つよう、市民に信頼される施設になれるよう努力していきたい」と抱負を述べられています。また国際ソロプチミスト横須賀の長沢会長から、車と樹木の贈呈され、市長から感謝状がおくられました。 1階に療育相談センター(通園施設)、2階と3階に児童相談所、4階に診療・療育相談部門、5階がこども健康課、こども青少年支援課、保育課、こども青少年企画課が、それぞれ余裕のあるスペースをもってきれいに仕上げられています。懸案の児童相談所の一時保護室もでき、これで体勢は整いましたので、名前に恥じない運用を期待するところで、ハコものはこれで当分は造られる事は無いと思いますが、こういう良いことにはお金をかけて当然のことです。 次世代育成支援特別委員会で、行動計画と共に、子どもセンターの建設に関しても取りあげてきただけに、個人としても特別な感激があります。山崎現県立保健福祉大学長を委員長にいただいた検討委員会も傍聴させていただき、委員の皆様の活発なご議論、貴重なご意見が充分に活かされたことと思います。そして、当時の担当課長のときから、こども育成部部長として全てを取りまとめられた現永妻教育長に、心から感謝とお祝いを申し上げなければと思います。 |
| (2008.3.28) |
| 中学校の卒業式で、目の前を通った一人の男子生徒の左手が不自由なのがきにかかりました。 式は進んで「卒業生の言葉」で、その生徒がマイクの前に立ち片手で器用に、きれいに装丁された原稿を広げて語り始めました。「自分は脳梗塞で倒れ、左半身が全く動かなくなりました。多くの友達が見舞いにきてくれて、励ましてくれました。そのおかげで、リハビリに必死に取り組むことができて、今、こうして歩けるようにもなりました。高校へ行っても陸上競技を続けていくつもりです。みんなの友情に心から感謝をしています」そう語る姿に、式場にいた皆が涙したのは言うまでもありません。 実はこの生徒は成績も優秀で、陸上競技も一生懸命練習する模範的な生徒でした。男子の陸上競技は県大会出場できず、女子が県大会へというので、その手伝いをしているときに突然倒れた救急車で運ばれ、手術が行われました。しかし、術後ひと月は全く意識が戻らなかったそううです。それが意識が戻ってからは奇跡的に順調な回復を見せることに。高校受験は、志望の公立に間に合わず、私立の高校へ進学されるそうです。 そんな状況ですから、誰もが学校側の配慮で今日の卒業生代表になったと思ったのですが、卒業式は全て生徒の手作りで、生徒の総意で「卒業生の言葉」は、この生徒になったのだそうで、さすがと再び驚かされることになりました。中学生で、脳梗塞は可愛そうにと思ったのが恥ずかしいほどで、こんなに素晴らしい中学生がいるのかという喜びをいただくことができました。それにしても、この生徒さんを育てられたご両親は、どんなに素晴らしい方なのだろうと思いを巡らします。 この生徒は、これからどんな成長をされるか、大きな期待を、そして幸多かれと祈るものです。 |
| (2008.3.21) |
| 目の見えない子どもにとって、遠くにあるものや形の分からないものを理解するのは難しい。「でも形のあるおもちゃなら、手でさわって分かってもらえるんです」全盲の視覚障害者という立場から、目や耳の不自由な子どもと一緒に楽しめるおもちゃ「共有玩具」の開発や普及活動に取り組んできた。改良点などをアドバイスしたおもちゃは、他社製品を含め1962点に及ぶ。タカラトミー安全・環境統括室係長、高橋玲子さん(39歳)は、10歳ごろの夏の日の記憶が、仕事の原点。 夕暮れ時の公園で盲学校のクラスメートと電子野球盤に夢中になっていた。見えなくてもゲームはできる。知らない子が「僕もやらせて」と飛び入り参加した。楽しさを共有できて、見える子と一緒にいても立場の違いを感じなかった。父親の転勤で、ニューヨークの公立学校へ。日本と違い、自由で平等だが、努力と責任も求められる、個人の可能性を否定しない国だった。帰国して国際基督教大学で心理学を学ぶ。共有玩具の開発構想を進めていたトミーへ入社、おもちゃ情報や市場調査の仕事を経て、自ら希望して開発の仕事にかかわるようになった。今春、日本玩具協会が創設する「日本おもちゃ大賞」に数点出品する。全社挙げての準備が進む。社員にとっては涼やかな声で説得力のあるアドバイスを送る「羅針盤」のような存在となっている。 「障害のある子とない子。一緒に楽しく遊んだ子どもたちは、きっと大人になってから豊かな社会を作ることができると信じています」と新聞紙上に大きく紹介されていました。通勤途中、多くの人が手を差し伸べてく助けてれる。10年前に比べ、不便さよりうれしいことが増えました。モットーは、相手の立場にたって考える。笑いとユーモアを忘れない。初心を胸に仕事と向き合う。自分が働くことで、一人でも多くの人が生きやすい社会になればと語る笑顔の写真が暖かく微笑みかけている。 お国柄なのか、どうしてもユーモアにかける私達日本人。米国はさすがで、昨年ワールドシリーズを制したレッドソックスのメンバーをホワイトハウスに招待して、挨拶にブッシュ大統領は「ダイスケの周りには私より多くの記者が集まる」「しかし、二人に共通していることは、英語の挨拶が苦手なことだ」と、こういう言葉がすらすらと出てくることが凄い。 |
| (2008.3.13) |
| 先日の「天声人語」で、「秋も深まり、姉も色づいてきました」は柿と姉の書き間違い、「粗父」は祖父の誤りで、年寄りを粗末にするなと。パソコンの変換間違いにも、気をつけないと思いがけず面白い文章になる。この二ヶ月で、2万字ほど打ったので心配も残るものでした。 当選2回目の初年度にさせてもらって以来、2回目の議会の代表質問は、8年振りとなり、さすがに体力の衰えを感じさせられました。字数にして約18,000字、普通に読んで大体1時間ですが、手話通訳がつくので、できるだけゆっくりと読むように気をつけて70分要することになりました。 途中で目はかすんでくるし、声の出も悪くなる。なるべく顔を上げる機会を多くと思うのですが、誰が傍聴にきているか迄は、見極められませんでした。しかし、お蔭様で多くの方が傍聴に来てくれていました。少し早いけれど、花道を飾らせてくれた同僚議員にも感謝の思いです。 原稿作りに約二ヶ月。当然のことですが、当初の原稿は跡形もなくなります。それだけ多くの人の手をわずらわせたことになりますが、多くの意見が活かされたことになります。それだけに責任も感じて久しぶりに大きな緊張と、その後に来る心地よい疲れも味わうことができました。 質問する方は、あれもこれもこの際言わなければと広範囲にわたりますが、答弁をする市長は、私の後も10人続くのですから大変です。下支えをする担当部の人たちにも大変な思いをさせてしまいます。あらかじめ打ち合わせもするのですが、最終的には、その通りにはいきません。なるべく大所から政策を戦わせるのが理想ですが。 内容は、市議会のインターネットで、録画(2/28(木))で見ることができます。お暇のある方はどうぞご覧になって下さい。この後大切なことは、質問した項目の実現に努力することと、気持ちを引き締めていきます。 ( ※ リンク → 市議会ホームページ ) |
| (2008.2.29) |
| コンピューター故障時の遅ればせながらの報告を、これ程重苦しい野球の試合を見たことがなかった。負ければ終わりということもあるのですが、選手の目の色が変わっていた。星野ジャパンのオリンピックアジア地区予選、韓国とは苦戦も予想されてはいたが、台湾もここまでやるとは思わなかった。 韓国戦、ジャパンのエース、ダルビッシュでくると思っていたが、好調の成瀬をもってきた。結果は期待に応えたから良かったが、負けていたら監督の采配に疑問ということに。中継ぎに気合の入った川上、押さえの一番手に岩瀬。締めくくりは上原で守りきったが、どうしてもこの場面は岩瀬でなければもたなかったと思えるのが、終盤7,8回の場面。一点はとられたが、デッドボールは避けないであたりに来る韓国打線に、整備不良のグランド、技術面で問題を残した審判団という悪条件の中、実に落ち着いて実績に裏づけられた実力を出し切った。 ひとやま越えての台湾戦も、温存したエース、ダルビッシュが本調子とは言えないが、さすがに今実力ナンバー1の力投を見せる。明らかなデッドボールをとってもらえず、気合で先制打をたたき出した4番の新井、6裏ホームランで逆転されると、すぐ7回に目が覚めたかのように一挙6点の大逆転。同点とした1アウト満塁でのサブローのスクィズは、成功させたサブローの冷静さと、サインを出した星野監督の決断は球史に残るものとなった。その場面を作った宮本の好走塁も光る。前の2試合出番のなかった藤川が元気一杯に押さえ。締めくくりは、やはりこの人、上原で監督の信頼も厚く、きっちりと仕事をする。 オリンピックの切符を手に入れることは、こんなに大変なことなのだと、星野監督の勝利インタビューでの感極まっての場面を見ながら、再認識させられました。時間をかけて選んだ24人の選手。キャプテン宮本のキャプテンシーは定評通り、出番のなかったベテラン和田がブルペンで捕手をしていたのは、これなら負けないと思わせる素晴らしい姿でした。西岡、川崎の1,2番は最強、阿部は大当たりの3試合で11安打、少し不安のあった4番の新井は顔つきも変わって素晴らしい活躍、稲葉、サブローは自分の役割をよく分かっている。全員が長打を狙わず、繋ぐことに徹したことは、チームプレーの見本。本番へ向けての心配は、監督の健康だけ、北京での胴上げが楽しみに。 |
| (2008.2.22) |
| 先日テレビで、弱視の人のための「拡大教科書」作りのボランティア活動を続けている方を紹介していました。一人一人に合わせて、どうしたら見やすいのかを調べて、大きさや色を決めて、手作りしていく作業は大変なもので、一冊の教科書ができるまでには、かなりの日数がかかる。一冊の教科書が拡大するため何冊にもふくれあがる。出来上がった教科書は「これなら見やすいし、よく理解できる」と喜んでくれるのをみると、苦労も報われるが、もともとそんなことは期待していないことでしょう。人のために役に立てることから得られる喜びは、きっとそれを成し遂げた人にしか味わえない幸せとも言える最高のご褒美が用意されていることと思われます。 全国でもまだまだ十分に理解されていないというので、横須賀の誇る障害者支援センターの女性館長の澤口静子さんに、伺ったところ、横須賀では既に10人の方にこの拡大教科書が作られているということです。それも進んでいて白抜きもあるし、活字ではなく手書きのものもある、本当にその人が一番読みやすい形で作られているのだそうです。素晴らしい仕事をされていると頭が下がります。澤口さんは障害者の方からの信頼も厚く、老朽化していて、ようやく移転が決まった手狭な事務室でも、笑顔を絶やすことなくてきぱきと仕事を処理され、見えないところで、こういう方の貴重なお力に支えられていることに、心から感謝を捧げるものです。神様が一番喜ばれるのは「右の手のしたことを、左の手に知らせない」誰にも知られないところで、一生懸命に努力をされることだそうで、ご本人は全くそんなことは無関心でも、誰も見ていなくても、きちんと神は見ていてくれるということです。 当初の予定では、視覚障害の方のための点字図書館は、中央駅に近い現在の児童図館の場所に建てられる予定だった新中央図書館の中にできて移転するはずが、市の資金の手当てがつかず、当面は予定が凍結。しかし、同居のマザースA、Bともに3月竣工のこどもセンター「はぐくみ館」へ移転するため、点字図書館はとりあえず総合福祉会館へ入ることに落ち着きました。視覚障害の方たちは、考えているよりずっとたくましく、こちらが元気をいただくことも。これからも少しでもお役に立てることができるようにと考えています。 |
| (2008.2.15) |
| 見る気ではなくつけていたテレビで、ピアノの連弾をやっていて、消そうかと思っているうちにどんどん引き込まれていってしまいました。普通の連弾ではなく、二人の四本の手がクロスする、背後から入れ替わる。面白そうだしなんと言ってもノリが素晴らしい。曲名が『Boogie
back to Yokosuka 』と紹介され、ひょっとして横須賀出身と思って見て、聞いていたら、やはりそうだということで、一気にファンになってしまいました。 レ・フレール、フランス語で「兄弟」という意味だそうで、その名のとおり実の兄弟でした。兄の斎藤守也(もりや)さんは、12歳でピアノを習い始め、15歳で、単身ルクセンブルグ国立音楽学校に留学。22歳で卒業し、帰国、作曲活動に。同時にソロ活動やバンドで活躍、現在は舞台音楽も。バラードを得意とする。弟の齋藤圭土(けいと)さんも、15歳で兄と同じルクセンブルグ国立音楽学校に留学。独学でブギーピアノを始め、ドイツの国際的ブギーピアニストのアクセル・ツヴィンゲンベルガー氏と共演して注目される。帰国後も多方面で活動中。06年にドイツで開催されたブギーの国際音楽祭に日本人として始めて出演し、高い評価を受ける。 ジャンルの壁を越えてピアノ一台で演奏するスタイルが話題を呼び、ピアノでは初のオリコンウィークリーで、ピアニストとしての数々の記録を打ち立てる。兄が得意とするバラード弟が得意とするブギにレ・フレールテイストを加えることで、これまでのピアノのイメージを一新する圧倒的なパワーを放つ一台4手連弾「キャトルマンスタイル」(フランス語で4本の手)を生み出した。即興も得意としている。 二人が重視しているのが、「和」調和であり、協和でもあり響和でもあるという。ピアノが歌い、踊りだすとされる見事なノリで、活躍を続け、横須賀の名も挙げてほしいと応援のエールを送ります。 |
| (2008.2.8) |
『灯火(ひ)を振れば彼方の明かり共に揺れ旅行(ゆ)くひと日夜(よる)に入りゆく』 天皇陛下御即位二十年の佳節を迎えられる今年の歌会始の皇后陛下の御歌。お題は「火」で、秋田国体開会式の情景。人々が提灯を振る奉迎の様子を、歌に託して振り返られた。 『洋中(わたなか)の小さき陸(くが)よ四百余の人いま住むを思ひつつ去る』 この御歌は、昨年訪問された玄海島で、三年前の福岡県西方沖地震により全島民が避難を余儀なくされ、福岡市内の施設に避難した島民のうち四百人余りが帰島し、島での生活を始めたことに安堵されると共に、島民の今後を思われつつ離島された時のお気持ちを詠まれたもので、年頭に発表された御歌。皇后陛下美智子様は、一流の歌人として知らている。 「小さなる火を育てつつ守るときこころの部屋のあたたまり来る」選者の歌人、岡井隆さんの一首。読売の編集手帳でとりあげられていた。火を育て、守る。その言葉から連想するものは人さまざまだろう。たき火でもいい、蛍でもいい。恋をしている人なら、心の暖まる火を恋人の面影にたとえることもできる。人の命もまた、誰かの手によって育てられ、守られる小さな火かもしれない。人は誰もが、ひとりひとりは強くもない、相身互いの小さな火である。風よけの手となる心を忘れてはならない。 フィギアスケート全米選手権、ペアで2位になった井上怜奈、ジョン・ボルドウィン組は、演技が終わった後、氷上でジョンがひざまずき、井上の手を握って「残りの人生を一緒に過ごしたいのは君なんだ」と熱いプロポーズを。井上は涙ぐみながら「はい」と答えた。井上怜奈、兵庫県出身で日本代表でも活躍。肺ガンを乗り越え、00年から正式にペアを組み、米国代表としてトリノ五輪に出場。ジョンは「彼女のことをすごく尊敬している」と、いつもは冷静な井上も「こんなこと知らなかったし、最初は何が起きたか分からなかった」と語る。これは美しい氷の上の「火」。 来年のお題は「生」。締め切りが9月30日で、いつも忘れてしまう。是非一度は挑戦を。 |
| (2008.2.1) |
| 昨年暮れにパソコンが壊れ、更新ができませんでした。私たちは、公選法により選挙の御礼も、年賀状も出すはことできません。自筆での返礼は許されているのですが、とても無理で、お詫びを申し上げます。しかし頂くことは、どなたからでも差支えありません。今年は配達も速く、なんと年賀状の束の一番上に、長年見慣れた「吉永小百合」様のサインの年賀状で驚かされました。「年賀状にはすてきな力があると思います 長く会っていなくても心が通う そう信じて 私の気持ちを贈ります」映画『母べえ』の宣伝でもあるのですが、裏面は日本郵政株式会社西川社長からの挨拶状で、「あたらしい ふつうをつくる」常にお客様の視点に立った真摯な態度で業務に臨み、皆様により一層の安心と信頼をお届けできるよう日々努めてまいりますとあり、下にはauケータイからメールを送れば、ポストに届く年賀状と宣伝が入っています。 郵政民営化で、知り合いの特定郵便局長さんは、10月頃からずっと、夜の10時頃に前を通ると灯りがついていて、話を聞いても「休みを返上しても、間に会わない これからのことを考えると不安ばかりで」と嘆いておられました。小泉元総理の郵政改革ですが、果たしてこれで上手くいくのか、首をかしげる思いもありました。それも今年のこの年賀状の配達の速さと、このアイディアに少し安心をさせられました。この発想は、お役所仕事ではできないことで、民間の発想の柔軟さが、良い面で活かされている、見習うべきことと言わざるをえません。 もう一通感激したのは、普段も手作りの美味しいお菓子を下さる方からの賀状でした。こちらは板を羽子板の形に切り、花の絵を手書きした面に、ご挨拶が書かれている世界にひとつしかない年賀状でした。これこそ贈る人の気持ちが感じられ、頂いた側が、暖かい気持ちになれる本当の年賀状と言えるものです。この二つの年賀状を飾り、今年も、皆様のお役にたてるように頑張ろうと力をいただいています。皆様のご多幸を心からお祈り申し上げ、変わらぬご厚誼をお願い申し上げます。 |
| (2008.1.25) |
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